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005と006、同日掲載です。
本日、『憑物語』書き終わりました! まだ手直しを済ませていないので出すのは徐々にですが、章の数は10章になって、ページ総数は178枚(原稿用紙換算)にもなりました。
初めての長編の完成! 長い話を書き終えるって、すごく達成感を感じました。そして楽しかった! 物書きの新しい一面を知ることが出来て、ちょっとばかし成長した気分ですぜ!
006
『宿木くん。砂里先生。助けていただいてありがとうございました』
その文章は、ノートパソコンのディスプレイに、驚くほどの速さで打ち込まれていた。
パソコンを用いた筆談。
それが、声の発せられない向居カンナのとったコミュニケーション手段だった。
ベッドから起きた向居は、浅黄色のパジャマ(砂里先生の私物)の上から、今しがた先生から借りた白衣を羽織って、テーブルの上のパソコンに向っている。ぼくと先生は、彼女の背後からその画面を見る形になるので、向居の表情を伺うことはできない。
しかしさきほど、向居の顔を見て思ったことがある。
向居の顔は、思っていたほどに三和川ミナとはそっくりではなかった。やはり一年の年の差のせいであろう、細部に違いはたくさんあった。教室では前髪で隠されていたし、廊下では顔を見たのは一瞬だった。それに体育倉庫は照明が暗くて分からなかったのだ。そして二人の一番の違いは表情だろう。あの明るい三和川とは異なり、向居の表情の根底には、いつも怯えのような暗いものが感じられている。
それにしても向居のキーボードを叩くスピードはかなり速い。ほとんど普通に話すのと同じくらいの速度で打ち込んでいる。当然、叩く音は聞えないので、まるで自動で文字が表示されていっているようだ。おそらく音を失ってから、その代わりを果たすために習得したのだろう。ネットでのチャットなどならば、相手に自分の情報は自分から教えない限り伝わらないので、向居も呪いのことを気をつける必要はないはずだ。そう思えば、ネット社会もずいぶんと有益なんだな、とぼくは今頃になって感心した。ちなみにぼくは機械は全然ダメである。キータッチが全部人差し指でやらないといけないくらいだ。
「別に礼はいいさ。あとで料金の方は頂くから」
砂里先生は、パソコンに打ち込まれた言葉に対して、自然に返答していた。
そういうところはさすがは職業人だ。甘えはない。
勝手に向居をここへ連れてきたのはぼくなので、いきなり言われた向居としては多少の文句もあるか、と思っていたが、意外にも返事は素直なものだった。
『はい。分かりました。今は手持ちがないので、後日にお持ちします』
「そうしてくんな」
『宿木くん』
と、今度はぼくが話しかけられた。
いや、話しかけられたでいいのだろうか。でも話はしているわけだし、おかしくはないのか。そんなことを考えながら、ぼくは、なに? と返事をした。
『ありがとう。あなたが家事の中から私を助けてくれたんですね』
そうか、向居さん、家庭のことに忙殺されていたんだ……ではない。
すぐに本人も気づいたらしく、『家事』の部分が『火事』に直された。パソコンでの筆談ではこんなトラブルもあるのか、という新たな発見だった。
「ああ、ちょうど家の前まで来たときに出火したところだったから」
『あの時は、いきなり窓の向こうで燃え上がった火に驚いてしまったんです』
それはさきほど砂里先生が話したとおりのことだった。さすがは(闇)医者。患者を診る目はたしからしい。
『でも……』
……までちゃんと入れていた。
慣れている、というか、習慣なのかもしれない。
ぼくは『でも』の後に文章が続くのを待った。
『なんでですか?』
最初、その言葉の指すところが分からなかった。
向居はすぐに文章を続ける。
『私たちは、あなたを脅迫しました。私の呪いをあなたにうつすぞ、とまで言って脅したのですよ。そんな私を、あなたはなぜ助けたのですか? 私とあなたの間の関係なら、例え見捨てることはあっても、命の危険を冒してまで助けることはないでしょう』
それは、たしかにその通りだった。
ぼくは数時間前に、向居カンナと三和川ミナの姉妹に脅迫を受けていた。
たしかにぼくにも思うところがないわけでもないが、それは向居の持つ、呪いに関することであって、ぼくの不幸といえ、二人の行動は、彼女達からしてみれば順当な行為だとも思える。順当な、――防衛行為だと。
生物が自分の身を守ろうとするのは当然であり、自然な行動だ。
それが法を犯すものであろうとも、倫理を犯すものであろうとも、生き物は時に自分の身を守るためならば積極的にしろ消極的にしろ、それを犯す。誰もが誰も、ソクラテスのようにはいかないのだ。
ぼくはなるべく平然とした口調で言った。
「別に普通のことだろう? 困っている人を助けようって思うのは」
向居はすぐに返答を打ち込む。
『普通ではありません。普通の人は決して火の中に飛び込んだりはしない。それに自分を脅している相手を快く思わないのは当然です!』
エンターキーを押す指には力がこもっていた。
疑問が、怒りに転化されかけているのだろうか。あれほどのことがあったのだ。気が動転していてもおかしくはない。むしろ今の向居は静かすぎるほどに思える。
それでもぼくは態度を変えることなく、続けた。
「言えてるかもね。じゃあ、きっとその段になって忘れてたんだ。あんな大変な事を忘れてるだなんて、ぼくの頭もそろそろ危ないなあ」
向居の気を和らげるために言ったつもりだったのだが、あまり言い言葉は出なかった。
向居はぼくの言葉に対して、すぐに文章を続ける。
『それじゃあ、宿木くんはどうして私たちの家を訪れていたんですか』
そして、次の単語を書き入れることを少し躊躇したのか、わずかな間手が止まっていたが、やがてゆっくりとだがそれを打ち込んでいった。
『復讐をするためじゃ、なかったんですか』
そう打ち込んでいる向居の肩は、心なしか震えているようだった。
――復讐。
たしかに、それは順当な考えだろう。さきほどの考えに続いて順当だ。
人が自身の命の危機を感じた時に、法を犯す行為をする。それが例えば、人の弱みを握ったり、脅したりしたものだったとして、その後に必要なのは反撃への警戒だ。向居がそれを恐れていたことも頷ける。もしかすると、目を覚ましてからずっとぼくの行動に対して怯えていたのかもしれない。静かすぎる、と感じたのも、こちらの感情を逆なでしないことを考えてのことだったのだろうか。
ぼくが返す言葉を選んでいた時、それを制する形で口を開いたのは砂里先生だった。
向居を安心させるようとしているのか、その声は普段のものより少し明るい。
「そいつは気にすることないよ。お嬢ちゃん」
砂里先生は、ぼくの方をちらりと見て、
「ミヤの野郎は底抜けのお人よしなのさ。だからあんただって助けちまった。こいつのことだから、あんたが親の敵でも、貸した百円をいつまでたっても返してくれない相手でもきっと助けに入っただろうさ」
と、それはそれは楽しそうに言った。
いや、百円返さない程度の恨みだったら誰でも助けるだろうよ!
『お人よし』
砂里先生の言葉を聞いて、向居がただそれだけを打ち込んだ。
それになにか言葉が続く気配はない。
代わりに口を開いたのは、またもや砂里先生だった。
「そうさ。それにあんたみたいなのの専門家なんだよ。この若輩は」
『専門家? わたしみたいの、と言うと、この呪いのことですか?』
「そう。怪奇現象、怪事件、なんでもござれ。まあフリーの『祓い屋』みたいなものさ」
『祓い屋、ですか?』
砂里先生が今度はしゃべるのではなく、ぼくに視線を向けた。
アイサイン。
お前の説明する番だ、と言っているのが分かる。
たしかに、ここからはぼくの話すところだ。
「実はそうなんだ。向居。まあ、『祓い屋』なんてたいそうなものを語ってはないし、別にお金を取ってるわけじゃない。ただこういうのに対する経験と手段をいくらか持ってるというだけで」
『どういうことですか?』
「ぼくは、まあ霊感体質みたいのがあってさ。そういうのに引かれやすいらしいんだ。向居の“呪い”とか、そういうものに」
ぼくは説明を開始した。
この説明だってもう何度目か忘れたくらいなので手馴れたものだ。
ぼくがこの仕事、というか生き方を始めたのは五年前からだった。
その時、向居のものとは違うが、ぼくは一つの怪異に遭遇し、霊感体質のようなものを身に着けた。しかし、それによって別に幽霊が見えるようになったり、超能力じみたものが宿ったわけではない。ただ、遭遇したもののような、怪異――怪しく、人とは異なるものに出会いやすくなってしまったのだ。
それはすぐに命に関わるものではなかったけれど、専門家に話をよると、いつかは命に関わるかもしれない。それを回避するには、それらに対しての防御手段、または対抗手段を覚えておく必要があるそうだ。そこでぼくは自分の身近で起こった怪異には積極的に触れ、自分を守るための経験を積みたいと考えている。つまりこれも一つの防衛行為なのだ。
そのようにぼくは自分の行為の意味を説明した。これらは半分くらいは本当のことではあるが、残りは嘘だ。いつものことだが、話していて胸が悪くなる。本当の目的はあまりに私的でエゴなものであるというのに。罪悪感で自分を殺したくなる。
でも殺すわけにはいかない。
殺されるわけにもいかない。
そして死なないままに、ぼくは怪異を解決し続けなければならないのだ。
それが義務であり、約束であり、誓いだから。
ぼくの説明を聞き終え、向居はいくらかは納得をしてくれたようだった。
それでもまだ何か言いたげではあったので、ぼくは適当な言葉を選んで場をつなぐことにした。
「そういえば、怪異に引かれやすいのはぼくの名前のせいだ、とも聞いたことがあるよ」
それは先ほども少し言った専門家、夏儀さんに教えられた話だった。
ぼくの名前は『宿木都(やどりぎ・みやこ)』という。
下の名前は父さんがつけてくれたもので、たくさんの人と一緒にいられるように、という想いが込められていると聞いたことがある。
けれど、『名は体を表す』。
なんでもいい。辞書を引いてみれば分かるだろう。
そのものの持つ“意味”とは、常に一つきりではないということが。
つまりぼくの『都』という名前は、別のものが集まるとっかかりになってしまったのだ。
しかも『宿木』という苗字もまた、それに関するところがあった。
『宿木』は、または『寄生木』とも書く。それは他の樹木に張り付き、時には内部にまで侵入してその栄養を奪って成長する樹木のことだ。寄生虫、寄生体のように、他者に寄って生きる木のこと。
これはまさに“憑き物”のメタファーだった。
何かに寄るのではなく、憑く。そして憑かれた者を宿として、または栄養源として生きる。それが“憑き物”。
つまりぼくの名前は『憑き物の集まるところ』という意味さえ持つ。
それは最悪の話だが、ことぼくの事情に関して言えば、それは最高の話だった。
探す必要のあるものが、向こうからやってきてくれるのだから。
と、最後の部分は秘密だったので話すことはしなかった。
『そうですか。名前が』
向居の方もいくらかは納得してくれたようだった。
そして少し何かを考えるようにしてから、文章を続けた。
『私も、そのことは考えたことがあります』
「そのことって、名前のこと?」
『そうです。私とミナは一緒に洞窟へ入ったのに、呪いを受けたのは私だけだった。たしかにあの池に石を投げ込んだのは私だったけど、それが私である必要はなかったはず。ただの二分の一の外れくじを引くのは、私でなくてもよかったはず。それならなぜ私だけがこうなってしまったのか』
一瞬、何かに躊躇うようにキーを叩く手が停まったかに見えたが、それはすぐにまた動き出した。
『それが名前です。私の名前がカンナで、妹はミナです。この二つ、どんな漢字が当てられるか分かりますか?』
それはどうやらぼくに聞いているらしかった。
砂里先生も考えているようだが、先生はこういうクイズじみたことはかなり苦手なので(警察と仲の悪い鳥は? → サギ。という問題を三日考えて解けなかったほどだ)、あまりあてにはならないだろう。
どうやら向こうは考える時間を与えてくれているようなので、ぼくも考えてみる。
ヒントはここまでの会話だ。
三和川ミナと、向居、いや、その頃は三和川カンナか。その二人が洞窟に入って、カンナだけが呪われた理由。呪われる方向へ進んでしまった理由。名は体を表す。名前が鍵だ。つまり、カンナの名前の方が呪いを受けやすかったということ。そんな名前あるのか?
カンナ、ミナ、神、呪い、……
それらを羅列することによって、ぼくの中で答えは出た。
つい手を叩いてしまう。
「そうか。月だ」
『ご名答です』
すぐに向居が答えてくれた。
しかしぼくの隣にいる砂里先生はまだ分かっていない様子で、頭をひねっているようだった。やがて諦めたのか、ぼくに解答の説明を求めてきた。
「そのままですよ。砂里先生。二人の名前は月の名前なんです」
「月? 三日月とか、弓張り月とかか?」
砂里先生はまだ分からないらしく、ぼくの言葉に首をかしげている。
「違いますよ。月は月でも、一年を表す方の月です。睦月、如月、弥生とかのあれですよ」
さすがに全部は思い出せなかったけれど、それでもカンナは確かに印象の濃いものだったので憶えていた。
向居カンナは、向居神無で。
三和川ミナは、三和川水無なのだ。
神無月と、水無月。
陰暦における十月と、六月。
神様のいない月と、水のない月。
つまり、そういうことだったのか。
まさしく『名は体を表す』だろう。
向居カンナには神様の守護のない名前だった。名前が表すのは、別にその人の体格ではなく、その人の本体そのもの。その二人の名前の違いが二分の一に影響を与え、もしかしたら三和川だったならば、呪いさえ起こらなかったかもしれない。そんな推測が成り立つというわけだ。
どうやら夏儀さんが言っていたのは、こういうことだったらしい。
直接的に怪異の解決に使えるものではないが、出会った原因を知ることもまた大切なのだ。怪異は意味なく現れない。不幸な偶然も、当然の帰結であり、必然の結果なのだ。
向居はぼくの説明にただ頷くだけだった。
砂里先生も納得したようで、また一服を始めようとしている。
なんとなく、それで話題が終了したかのように思えた。
向居は当然として、誰も何かを話し出そうとする気配がなくなっていた。
だからだろう。
だからなんの前触れもなく部屋の窓ガラスが粉々になって何か大きな塊のようなものが飛び込んできた時も、誰一人として悲鳴どころか声一つ上げることはなかった。
リビングの床中にガラスの破片が散らばっている。
カーテンは破れはしなかったが、そこから入ってくる風で大きくふくらんでいる。
部屋にいた三人の視線が、その一点に集まっていた。
砂里先生は火をつけたばかりの煙草を落とし、振り返った向居は、驚きで目を大きく開いていた。
三人の視線の先には、一人の少女がいた。
そしてぼくも、それから目を離すことができなくなっている。
侵入者は、三和川ミナの姿をしていた。
顔は三和川ミナで、髪方も、体格も、三和川ミナのそれであり、服装は私服なのか上下赤色のジャージ姿だった。
しかし、違う。
こいつは三和川ミナでない。
窓際に立つそいつは、腕をだらりと垂らして上半身をわずかに前かがみにしている。
そして、その目が確実におかしかった。
限界まで開かれた大きな瞳には、理性の色は見つからない。
そう、それはまるで、獣の目のようだった。
その目が、今こっちを向いた。
ぼくと目が、合った。
思わず息をのんでしまう。
三河見ミナの姿をしたこいつには、それほどの威圧感というものがある。
そいつは、こちらを見たまま言った。
それはたしかに三和川ミナの声で。
「都ちゃん。見つけたよ」
そしてすぐにそいつは跳んだ。
こっちへ向って。
一切の助走を必要とせずに。
大声で叫びながら!
「お姉ちゃんを、返せっ!」