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僕と、ノラ猫のモノが出会ったのは、新しいアパートに越してきて、二月が経つ頃だった。
モノは部屋のベランダに時々現れ、いつの頃からか僕も来るたびに餌をやるようになっていた。
モノという名前は、その毛色が白と黒であることから、モノクロのモノとしてつけた。
餌場だと思ったのか、モノはちょくちょく僕の下を訪れた。
モノと一緒にいると、自分でも気付かないうちにだんだんと周りや自分が変わっていった。
まず、色の趣味が変わった。昔は赤が好きだったのだけれど、気がつくと白黒の二色が一番のお気に入りになっていた。
好き嫌いが増えた。なんだか色の濃い食べ物を、受けつけにくくなったのだ。
そしてもう一つ、モノがうちに来るようになってからというもの、やたらと家具がよく壊れた。
可変式のベッドの間接部が壊れて動かなくなり、カーテンがちぎれ、時計が停まって動かなくなる。これまでしたこともなかったのに、皿を何枚も割った。
壊れた以外でも、なくしたり、貸したりして、また泥棒に入られたこともあった。
とにかく、不思議なほどに次々と部屋の物、自分の持ち物がなくなるのだ。
しかしどれも大変な物がなくなったわけでもなく、偶然が重なったくらいにしか思えないことだった。
付き合っている女性が僕の部屋に来た。そのときに彼女が、最初にあることを指摘した。
「石菜くんの部屋って、……白黒の物が多いんだね」
指摘されて、僕は自分の部屋を見渡した。
壁は全部白だが、カーペットは黒。掛け時計は黒で、カーテンも黒。ベッドカバーは白だが、枕は黒。皿は白と黒の物が交互に積まれている。
「そういえば……そうだな。あんまり気にしてなかった」
それは本当のことだった。
自分でも驚くほどに部屋は白と黒に溢れていた。そして、今の今まで、自分がそのことを意識していなかったことにたいして、さらに驚いたのだ。
そういえば最近、壊れた家具を買い換える際、僕は無意識的に白と黒しか使っていない物を選んでいたのだった。
「コーヒー飲む?」
「あ、うん。ちょうだい。ミルクたっぷりで」
「……あ」
冷蔵庫にはクリープはなかった。
僕はコーヒーはブラックでしか飲んでいなかった。
どこかから、モノの鳴く声が聞えた。
大学から帰ると、最近続いていたアパートの修復工事が終わっていた。
ペンキも塗り替えていたらしく、ずっと張られていた膜が取り外されていた。
新しくなっていた壁の色は、白と黒だった。
正方形の白と黒が、交互に並んで、チェス板のような模様を作っていた。
電柱の裏から、モノがこちらをのぞいていた。
研修から帰ってきた彼女に久しぶりに会うと、彼女は白と黒しか使っていない服選びをしていた。
赤い淵だったメガネも、黒淵に変えていた。
「服の趣味、変えたんだね」
「うん。石菜くんが好きだと思って」
「ああ、……うん」
「それに」
彼女が僕を指さして言う。
「おそろいだしね」
僕は白と黒しか使っていない服を着ていた。
家に帰ると、自分と同じ色の僕を、モノが迎えてくれた。
大学の研究室のタイルが、白と黒の縞模様になった。
家に帰ると、ポストの中に白い便箋と黒い便箋があふれるほどにつまっていた。
テレビが故障して、色を映さなくなった。モノクロ画像しか見えなくなっていた。
まるで僕から侵食していっているかのように、僕の周囲が白と黒で満たされていった。
元から白黒だったモノだけは、変わらずに部屋にいてくれた。
僕は白と黒以外の色を寄せ付けなくなっていた。
口に入れるのも嫌だったので、自然と食生活も偏っていった。色を見ずに、目を瞑って食べてみても、味から色を連想してしまい、すぐに吐き出してしまう。
栄養はもっぱら、薬剤に頼るようになっていた。
精神病院にも通って、薬ももらったが、症状は回復を見せなかった。むしろ悪くなっていった。
身体が苦しい夜は、モノと一緒に眠った。
白と黒以外の色を、僕は恐れるようにさえなった。
部屋を出ることを極力避けるようにし、他人との交流も途絶えた。
カーテンも閉め切り、窓の外の景色を拒否し、テレビも点けなくなった。携帯電話も解約され、大学も中退し、僕は閉じこもることしかできなくなっていた。
もう僕の友だちは、モノだけになっていた。
朝の太陽が怖かった。
昼の明るさが怖かった。
夜しか出歩けなくなった僕は、それでも音々の光や、すれ違う人の姿に怯えていた。
その二つの色以外の、色という色が怖くなっていた。
僕に寄り添うモノだけは、変わらずにそこにいた。
僕の精神は、末期を迎えていた。
白と黒以外の色のすべてが許せなくなった。
しだいに自分の中に、赤い色の血が流れていることすら、鳥肌が経つほどにおぞましいことに思えてきた。
しかし、僕は赤い色を見ることが怖くて、その血を抜くこともできないでいた。
苦しんでいる僕を、いつもモノは静かに見つめていた。
モノと会って一年が過ぎた。
しんしんと雪が降り出した静かな夜に、彼女はおよそ半年振りに僕の部屋を訪れた。
渡していた合鍵で入ってきたのだろう。ずかずかと部屋に入り、シーツに包まってくらい部屋で震えていた僕を引きずり出し、壁に押し付けるように立たせた。
「香織……さん?」
僕を壁に押し付ける彼女は、泣いていた。
真っ白い顔をして、そして真っ黒の服に身を包んでいた。
それは喪服だった。
「死んだよ……」
彼女はかすれた声で言った。
「私達の赤ちゃん……生まれて来られなかった。……死んだの。ううん……私が、殺したの」
僕は、何を言っていいのかわからなかった。
ただ壁に背を預け、そこに立って、彼女と向き合っている。
彼女の向こうに見える空は、真っ暗な背景の中、白い雪が降り落ちていた。
「でもね…………半分はね。石菜くんのせいなの……私ががんばっている間、ずっと引きこもってた……石菜くんのせいなの」
彼女はうつむいたまま、ブツブツと同じ言葉を繰り返し繰り返し唱えていた。
垂れた前髪で、浮かんでいる表情はうかがえない。
「…………だからね。一緒に償お。……赤ちゃんだって向こうで一人だったら、きっと寂しいよね」
次の瞬間、彼女は僕の胸に飛び込んできていた。
「……………………え?」
彼女が一歩、僕から離れた。
見下ろすと、僕の胸に一本のナイフは生えていた。
果物ナイフほどの長さであろう刃が、すべて僕の胸の中に納まっている。
「ごめんね…………ごめ……んね」
彼女は涙を流したまま、その場で倒れた。
確かめなくてもわかる。
彼女は絶命していた。ここに来るまでに、毒物を摂取していたのだろう。
心中をするために。
不思議と熱い胸を気にしながら、僕は自分の命が消えていくさまを、ぼんやりと感じていた。
「…………ゴホッ」
口から血が飛び散った。
部屋を、彼女の身体を、僕の血が染めた。
けれどその色は赤くない。
黒い。
黒い血だった。
僕の傷と口からは、だくだくと黒い血が流れ落ちた。
胃を怪我すると黒い血を吐く、という話をなんとなく思い出した。
けれどそんなことはどうでもよかった。
僕はただ、安心していた。
自分の中に黒い血が流れていたことに、安堵した。
そして血の抜けきった僕の身体は、白色になる。
もう何にも侵されない、美しい未来が待っているのだ。
死にかけている僕の前に、モノはいつものようにふらりと現れた。その足を黒い血で濡らしながら、僕の顔に近づいてくる。
(ああ……こうして、僕もお前になるんだな)
それが、最後の思考だった。
こうして二人の若者が、アパートの一室で亡くなった。
第一発見者の男は、最初に現場に入ったとき、猫の鳴き声を聞いたらしい。
けれど、その部屋の住人が、部屋で猫を飼っていたという話はない。
部屋は十七階。
当然ノラ猫が入るわけもない。