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OLである私が勤める会社は、市内の中心であるS駅から二駅のところにある。
その会社までの道のりを音楽を聴ききながら歩くのが私の習慣だ。曲は週に一度、ネットからパソコンにいい物をまとめて落としてアイポッドに無作為に入れておき、そして聴いているうちに気に入ったものをパソコンに編集するようにしている。
その日も同じように、音楽を聴きながら会社へ向っていた。
駅前の公園を抜けるあたりで流れていた曲が終わって、次の曲に切り替わった。
流れ出した曲は、ギターに合わせて若い男性が歌う、少し古めのフォークソングのような曲だった。
こんな曲入れてたかな、と思いながらもそれほどに気にはしなかった。
たしか今週はあるバンドのアルバムをまとめて入れていたはずだったので、聞き覚えのない曲が入っていたことを少しだけ疑問に思った。
けれどそんなとっかかりは曲を聴いているうちにすぐに消え去ってしまった。
おもわず立ち止まってしまう。
その歌は、今までに聴いたこともないようなものだった。
技術でも歌詞でもない。その男性の歌声がとても心に響いてくる。まるで心の琴線を直接はじいてくるような、それほどまでにその歌は美しいものだった。
曲が終わって、別の曲になってさえ私は余韻に浸っていてしまうほどだった。
そのために会社には遅刻してしまうのだが、それでも悔いはなかった。
就寝前、パソコンにアイポッドをつないで中の曲を編集しているとき、朝に駅前で聞いた曲のことを思い出した。
あの曲はどれだったのだろうと思い、入れていた曲を調べた。題名は見ていなかったけれど、その曲自体が忘れられるものではなかったので、一つ一つ聞きながら確かめていった。
しかしお目当ての曲は、その中には入っていなかった。他のフォルダにもなかったし、パソコンの消去フォルダの中にも入っていない。もう一度手持ちの曲を洗ってみても、やはりあの曲は見つからなかった。
もしかしたら何かの衝撃か不手際で、あの曲だけが消失してしまったのかもしれない。
私は言い知れぬショックを受け、その日はそのままベッドに入った。
翌日、とんでもない寝癖との格闘を余儀なくされるのだが、それよりも私はあの曲が見つからなかったことの方に落胆していた。
「あっ! この曲っ」
駅前の街頭で私は思わず叫んでいた。
周囲の視線が集まり、口を抑えながらも立ち止まって音に集中した。
たしかにあの曲だ。イヤホンから、なくしたと思っていたあの曲がまた流れてきたのだ。
曲名を確かめるために急いでアイポッドの画面を確認する。
しかし私はそれを見たとき、最初どうなっているのか分からなかった。
画面には何も映っていなかったのだ。
曲名どころか、再生時間さえも表示されていない。それは電池が切れているのと同じ状態だった。
混乱しているうちに曲は終わってしまった。次の曲は普通に流れ出し、もう一度見るとすでに画面も元通りに回復している。
私は理由が見つからないさっきの出来事への戸惑いと、ちゃんと曲を聴けていなかったことのダブルショックで頭が小休止状態になっている。
パパァー!!
突然のクラクションに私は意識を取り戻した。
あわてて走り出さねばならなかった。私は横断歩道のど真ん中で立ち止まっていたのだ。
その日も家に帰ってから確かめたけれど、やはりあの曲は入っていなかった。
不思議に思いながらも日々を過ごすうちに、何度かあの曲を聴くことができた。
そうするうちに、私はひとつの法則性に気づいた。
あの曲が聴こえてくるのは、決まって私が駅かその近くにいるときだけだということに。しかも駅前の公園、その噴水の近くほど頻度が多いことにも気づいた。
私の発見に前後して、その公園の景色に目に見える変化があった。
いつのまにか公園の噴水の周りには、毎日のように長い間座っている人が増えたのだ。最初は二、三人だったのが今では十人前後になっている。彼らはほとんど一日中その場所で音楽を聴いていて、不特定の時間に流れてくるあの曲を待っているようだった。
高校時代の親友が長く体調を崩していることを聞いたのは、あの公園に人が集まるようになって少し経った頃だった。
心配して見舞いに行った私は、なんでも彼女の恋人が事故で亡くなってしまった精神的なショックでふさぎこんでいるということを知った。
なんとかしてあげられないかと考え、私はあの公園で聴こえる音楽のことを思い出した。あの曲ならば綾子を元気付けられるかもしれないと考えたのだ。あの曲には聴く人を幸せにするような、そんな不思議なところだってあるのだから。
綾子も最初はしぶっていたが、なんとか説得に応じてくれ、翌日には彼女と二人で駅前を訪れていた。
噴水の周りには今では二十人を越える人が集まって、みんな一様にイヤホンに自分の耳を傾けている。
私たちも近くのベンチに座って、互いのイヤホンを耳につけた。
するとどうしたことだろう。いつもなら待っていてもなかなか聴けない。または一日聴けないことだってあったあの曲が、ちょうど私たちが来た途端に始まったのだ。すごい偶然だった。
「この曲、この曲だよっ」
私は興奮して、隣に座る綾子を見る。
けれど彼女は、目を見開いた形で止まっていた。
「え……だって、この曲は……」
少しして、流れていた曲は終わった。
周囲も同じように聞いていたのだろう。ふう、と満足げなため息があちこちで聞こえていた。
私も満足して、もう一度隣を見た。
「えっ? ちょっと、綾子。どうしたの」
彼女は泣いていた。ぬぐおうともしない涙が、ポロポロと両目から落ちている。
この曲を聴いて感動した人はたくさん見たし、私もその一人ではあるけれど、ここまで泣く人を見るのは初めてだった。
「だって、……だってこの曲は、あの人の……」
「……どういうこと?」
そして、綾子は涙ながらにその話を語り始めた。
それは衝撃の内容だった。
ミュージシャンへの志し半ばで事故に遭ってしまった綾子の恋人。
才能もあり、努力家でありながらただ不幸だったが故にすべてを失った彼は、綾子が知らない昔、どこかでストリートで演奏をしていた。
それがたぶんこの場所で。
しかもさっき聴いた曲を歌う声は、たしかに彼の声、
「……おいコレ」
「新しいぞ……」
「……ほんとだ」
にわかに周囲がさわがしくなりだした。
みんなそれぞれのイヤホンを手にして驚きの声を上げている。
周りにならって私も自分のイヤホンに、流れている曲に意識を集中する。
流れているのはさっき聴いたのとは違う曲。けれど同じ人、綾子の恋人が歌う今までに聴いたことのない、新しい曲だった。
その歌声に、歌詞に、音楽に誰もが聴き惚れ、涙しているものでさえ少なくない。
周りを歩いていた人も、イヤホンをした誰もが足を止めその曲を聴いている。
かく言う私も、隣に座る綾子の目からも涙の粒は零れ落ちていた。
綾子の濡れたままの瞳に私が映る。
「連れてきてくれて、ありがとう」
「たぶんあんたの恋人が、私を呼んだんだね」
曲は今も流れ続ける。
それは美しくも悲しい、恋人に捧げる愛の歌だった。