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「勝ー。今日は何の本読んでるの? ちょっと見せてよ」
「んー」
そう言って弟は手元に置いていた栞を挟むと、私に読んでいた本を手渡した。
私はその本の文章やイラストには目もくれず、栞のあるページを開く。
そこには写真があった。
それは真ん中のあたりで縦に乱暴に破られており、半分の写真には笑顔の女性が写っている。配置からすると破り捨てられた半分には恋人が映っていたのかもしれない。
それはなんともロマンチックで素敵な栞であった。
なにかしらのドラマさえも感じられる。
私はその写真を本の隙間から抜き取り、ポケットから取り出した普通の紙の栞を代わりに挟み込んだ。
「ありがとー」
「んー」
渡された本を手にし、弟はまた読書に取り掛かった。
私は抜き取った写真の切れ端を眺めている。
緩む頬の力を感じながら、今日のは九十点のは固いな、と心の中でつぶやいていた。
*
突然だが私の弟、海藤勝はとても本を読む少年だ。
学校での休み時間はもとより電車に乗っている間も、家でくつろいでいる間も片時も本を離さないほどの読書ジャンキーなのである。
そんな弟の休日に行う趣味は意外にも散歩であった。
しかしそれがただの散歩であるわけがない。
なんと弟は本を読みながら出歩くのだ。母も父も何度も注意をしているのだが、本人は一向にこれをやめようとしない。休日になると、新しい本と財布だけを持って朝に出かけたかと思うと、夜にはそれらを読み終えて帰ってくるのだった。
そしてそんな変わり者な弟を持つ私、海藤優の秘かな趣味が“栞集め”であった。
そう。本に挟む栞である。私はそれをコレクションしている。
私がそんな趣味を持つようになったものも。弟の寄行がきっかけであった。
弟は本をあれほど読むくせに、栞というものには一切頓着がない。とりあえず目印になればいいと思っているようで、いつも適当なものを本に挟んでいるのだった。
それは日によって変わり、カラスの羽だったり、誰かのメモ用紙だったり、コンビニのレシートだったりする。時には誰かの免許証やどこかの国の紙幣でったこともあった。
どうやら弟は本を読んでいるうちに見つけた身近に落ちているものを栞としているらしいのだ。
その集められてくる栞たちがあまりに突拍子もないモノばかりだったために、私は興味をひかれ、いつからかそれらを確かめ採集することが楽しくなってきたのだった。
今では一日に一度、弟の読んでいる本を確かめ、採点をしてから栞を取り出してはアルバムに収めることが私の何よりの楽しみになっている。栞として使われるものは例外なく平たいものなのでかさばる心配だけはなかった。
秋の日、勝の用意した栞は紅葉したイチョウの葉であった。
風流で良しっ。七十五点を与える。
風の強い日、勝の使っていた栞は、誰かが故郷の母親に書き綴った送られなかった手紙であった。
内容が良かったので八十五点を与えた。
梅雨の日、本に挟まれていた栞は未使用のコンドーさんであった。
………………どこで拾ってきたんだ? まあ意外性があったので八十点とした!
と、このように私のコレクションは日々増え続けており、アルバムはすでに三冊目に突入してしまっている。
残念ながら私の話にはとくにオチはない。
なぜならばこれは私の自慢話だからだ。
コレクションとは自慢したくなってしまうものなのだから。
*
突然だが僕の姉、海藤優の部屋は非常に散らかっている。
どれくらい散らかっているかというと、それを見た多くの人がそれをゴミだめと判じてしまうくらいには散らかっている。それは決して片づけがヘタだという理由のものではない。姉の部屋のゴミは常に増え続けているのだ。姉の幼いころからの習性は街を歩いていて気に入ったものを拾い、持ち帰ることだった。けれどそれらは適当に部屋に投げ捨てられ(本人は保管しているらしいが)、本人にさえ忘れられてそれらは山を築き続けている。
ちなみにそんな姉を持つ僕、海藤勝の趣味は読書である。
それも散歩をしながら読書をする。休日は財布と読んでいない本を持って朝から家を出るのが習慣だった。
さて今日は土曜日だ。本を持って外に出かけよう。
まずは姉さんの部屋で栞になるものを見つけなければならない。