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今回の作品は『少女七竈と七人の可哀想な大人』という本に出ていた”ビショップ”という犬がとても良かったので思いついた作品でした。

あとは、家に住み着いた幽霊、ということで妖怪の”座敷童子”もそのコンセプトの中には入ってます。

10/24一度なおしを入れています

10/27再度修正

 


 私が父の仕事の都合で関西圏にある地方都市、I市にやって来たのは十六の夏のことです。
 家の方は父の友人の紹介で貸家を紹介してもらったのですが、それが平屋建ての古風な庭付き一戸建てで、その広さのわりには安価なお値段でした。
 その原因は、引っ越してきたその日に判明します。
 それは家の玄関先にいた一頭の黒犬。正面の門と玄関との間の場所にそれは寝そべっていました。
 私は生まれついての霊感体質であり、幽霊やその類のものもそれなりに見えていたので、その黒犬がこの世のものではないこともすぐに分りました。
 それがとどまりの黒犬、クロシェとの出会いであり、話がまとまってI市に引っ越してきたのが八月の中頃のこと。
 こうして新しい町での父と母と妹と私、そして幽霊の犬との生活は始まりました。
 
     *

「では行ってきます。犬よ」
『うぉう!』
 玄関を出る際に挨拶した私に、黒犬は大きな、しかし他の人には聞えない声で応えます。
 この家に住みだして早一週間。私はここの先住人であった犬ともそれなりに仲良くなっていました。
 一週間も近所を散策していたので、この辺りの地理もその大方を把握しており、私の足はまっすぐに目的地へと向います。
 その日に向ったのは近くの図書館であり、目的は動物の図鑑でした。
 調べてみると我が家にいた黒犬はシェパードという種類のようです。なんでもよくいる種類の犬であるとのことですが、さほど犬に詳しくはない私はその名前までは知りませんでした。
「ただいま帰りました」
『うぉうっ!』
 私の帰宅に、やはり玄関先にいた黒犬は寝そべったままに応えます。
「犬よ。なんでもあなたはシェパードという犬らしいですね。それも警察犬や盲導犬でもなんでもこなす万能犬だそうではないですか。私は驚きましたよ」
『うぉう』
「決めました。お前は黒いシェパードなので、名前はクロシェとすることにしましょう。どうです? なかなか良い名ではありませんか」
『うぉう』
「そうですか気に入りましたかクロシェ。お前はクロシェです。よろしくクロシェ」
 私は何度も名前を呼びながらその頭を撫でてやります。当然実体はないので全部空振りなのですが、どうやら気持ちは伝わっているらしく、クロシェも気持ち良さそうに目を細めてくれていれます。
「おお、そうでした。名乗り遅れていましたね。私は黒川鏡といいます。鏡のような黒き川と覚えるのですよ。わかりましたか?」
 私に訊かれ、クロシェは少し困ったかのように『うぉう?』と唸ります。

     *

 家族の中でクロシェが見えるのは私と妹だけです。両親はなにかがいるような気がする、と感じているくらいでそれ以上はわかっていません。
 私も妹もあまり誰かがいるところでは、クロシェが見えているようには振舞わないようにしていました。なぜなら新しい土地では新入りはあまり目立つ行動は取るべきではないと教えられていたからです。
「姉さん、クロシェは散歩に行ったりはしないのでしょうか?」
 朝食後のくつろぎの時間のことです。
 私が小学生の妹の、まだ長くはない黒髪を結っていると、妹は思い出したようにそんなことを訊き始めたのでした。
 母は台所に食器洗いに、父は洗面所に髭剃りに向っているので畳敷きの居間には私たち二人しかいません。
 私は妹の髪を結う手を止めないままに、
「それはいらないでしょう。幽霊なのですから健康もなにもあったものではありません」
「そういうことではないのです。わたしは犬は普段から歩き回っていたいものだと聞いていましたので、幽霊になっても歩き回りたくはならないのかな、と思ったのです」
「ふむ。それは一理ありますね。けれどそれも人によりけり、もとい犬によりけりなのではないでしょうか。S&Mシリーズという小説に出てきた犬は運動が大嫌いでしたよ」
「それはフィクションなのでは?」
「確かに」
 居間からは廊下の戸の向こうに玄関先が見え、そこではクロシェが今日も犬小屋もない青空の下で寝そべっています。
 私と妹はそんな気楽そうな犬の幽霊をしばらく一緒に眺めていました。
 そうしていると、私の頭にも一つの疑問が浮かんできます。
「そういえばなのですが」
「なんでしょう?」
「なぜクロシェはずっとあそこにいるのでしょうね? どこに行くでもなく、日がな一日玄関先で寝てばかりいて」
「う~ん。もしかしたら誰かを待っているのかもしれません。玄関ですし。ほら、あれです。……チューハイ八合?」
「ふ~む。とりあえず姉としてそこは忠犬ハチ公だと訂正しておきましょう。でも確かにそれはありそうな話ですね。幽霊になっても主人の帰りを待つ犬。いい話ではないですか」
「しょせんは想像の話ですけどね」
 妹が夢のないことを言っています。
 なんにしろ正論なので私にも返す言葉がないのですが。
 まだ眠気が残っていたのか、話が一段落すると無意識にあくびが出てしまいました。
 向こうに見える玄関先ではクロシェも大きくあくびをしています。

     *

「そっか。鏡ちゃんはあの葵屋敷に引っ越してきてたんだね」
「はあ。あの家はそんな名前だったのですか? ああ、前の持ち主の名前なのですね」
 そうだよ、と隣を歩く少女は笑いながら言いました。
 今日は夏休み明けで私の初登校になる日です。
 彼女、柿本ミノリは私と同じS学園の生徒でした。
 さきほど、私がやたらと長い学校へ続く坂道を前にうんざりとしていたところを、後ろから声をかけてくれたのがミノリさんでした。
 なんでも私が引っ越してきた家の近所に住んでいて、夏休み中にも何度か私の姿を見かけたことがあったらしいのです。
 ミノリさんは小柄な人で、一見年下にしか見えませんが話してみると意外にも私と同い年でした。
「じゃあミノリさんはそのおじいさんとお知り合いだったのですか?」
「うん。ご近所さんだしね。ちょくちょく会ってたし、将棋が強いんだよこれが」
「もしかして、その葵さんは犬を飼っていませんでしたか?」
「え? ……うん。飼ってたよ。黒いシェパードだったかな。玄関先に犬小屋があってさ。でも少し前にいなくなっちゃったんだよ。けっこうな歳だったしね。老犬は去るのみってやつ?」
「そうですか」
 寿命を感じた動物は家を出ると聞きますが、それと同じものなのでしょうか。
 わかってはいたとはいえ、なんだかそういう話を聞くと少ししょんぼりしてしまいます。
「あれ? でも鏡ちゃんはなんでそんなこと知ってるの?」
「あ、いえ、そうではなくて……ああ、そうそう。その葵さんは今どこに? 私の家族と入れ替わりにどこかへ引っ越したのですよね?」
 無理矢理に話をそらせてそう訊くと、ミノリさんの表情にわずかに曇りが生まれます。
 少しの間そのままだったミノリさんでしたが、学校への坂道も中盤に差し掛かったあたりで、その重たそうな口を開き始めました。
「葵さんは亡くなったの。二ヶ月くらい前に。聞いてなかったの?」
 聞いていませんでした。
 これは家を借りる際にもすこし問題がありそうなところですが。
 ミノリさんのお話によると、ご老体の一人暮らしだった葵さんは、夏の始めに一人息を引き取ったらしく、なんでもそれは心臓の持病によるもので、最後には薬を目の前にして亡くなってしまったそうです。
 会ったこともない人でしたが、話を聞いて私もその人がいなくなってしまったことが少し悲しくなりました。
 そうなるとクロシェは自分の飼い主が亡くなったことを知らないのではないでしょうか。
 だからいつの間にかいなくなっていた飼い主が戻ってくるのを、あの玄関で待ち続けているのでは。そこに代わりに入ってきたのが私たちです。他意のないことでしたが、私はクロシェに対して申し訳ない気分になってしまいます。
「そ、そういえばさ。なにか葵さんの持ち物が家に残ってたりしなかった?」
「え? いえ、そういういうものはなかったかと思われますが。それがなにか?」
「ううん。なんでもないの。聞いてみただけ」
「はあ」
 話しているうちに、私たちはいつの間にか学校へ続く坂道を登り終えていました。
 話すのに夢中になっていたせいか、坂道には思ったほど苦労は感じさせられずにすみました。

     *

 家に帰ると、玄関の脇に植えられているイチョウの木陰で妹が本を読んでいました。
 いつ見ても寝てばかりいるクロシェは、やはり今日もいつもの場所で寝息を立てています。
「ただいま帰りました」
『うぉうっ!』
「うおうー」
 妹がクロシェと息を合わせて応えました。
「何の真似ですかそれは?」
「クロシェの真似をしてみました。似ていましたか?」
「おもしろくはありました」
「それは重畳です」
「重畳?」
「重畳です」
「そうですか。……重畳ですか。そうですね。それはとても重畳です」
 私はそれとなく納得すると、妹の隣に腰を下ろします。
 横から見てみると妹の読んでいる本は角川でした。しかも古典文学。渋い読書趣味です。
 妹は私の視線に気づいてかこちらを見上げ、
「姉さん。新しい学校はどうでしたか?」
「なかなか楽しかったですよ。お友達もできました。柿本ミノリさんという方です。なんでもここと家が近いらしくて、この家に以前住んでいたおじいさんのことを話してくれました」
 そして私は今日聞いた話を妹に聞かせました。伝聞情報でしたが、だいたいは伝わったでしょう。
 聞き終え、妹はなにか考え込むようにほうほうと言っています。
「そうですか。じゃあクロシェはそのおじいさんを待っているのですね」
「はい。きっとそうなのでしょう」
「やはり中間テストーですね」
「だから忠犬ハチ公です。それは少し無理がありますよ」
「やはりそうですか。クロシェもそう思いますか?」
 妹が訊くとクロシェは細めていた目を開けこちらに顔を向けます。
 そして首を上げ、
『うぉうっ!』
 私と妹は一度顔を見合わせるとクロシェの方に顔を向け、同じような仕草をとります。
「うおうー」
「うぉんっ」
 やはりどちらも似ていませんでした。

     *

「はあ? 花の鉢をですか」
 その話をされたのはとある休日のことでした。
 なんでも母が玄関先の庭に花の鉢を置こうとしたのですが、これが何度やってもちゃんと置けなかったり落として鉢を割ってしまったりするのだそうなのです。
 詳しい話を聞くまでもなくそこはクロシェの座であり、私はその場所を諦めたら、と言うのですがクロシェのことをはっきりと言えないだけに押しが弱く、結局私が鉢を置くことをどうにかすることになってしまいました。
 玄関に出てみると、いつものんびり穏やかであったクロシェが、今日はどうにも不機嫌そうな面持ちでした。
 しかし母の頼みでもある手前、私もなんとかクロシェを説得したいところです。
「クロシェ? 母がお前の場所を綺麗に飾りたがっているのです。どうかその場所を引き渡してはくれないでしょうか」
『うううううぅぅぅぅっ』
 クロシェさん、唸っております。牙なんかもむき出しにしてとても怖いのですが。
「ううう、そんなにその場所が気に入っているのですか? 私も図書館でよく座るお気に入りの席がありますが、お気に入りだからこそ他の人にもその良さを知ってもらおうと勧めてみたりもするものです。だからどうでしょうか。たまにはクロシェも違うところにいてみてもよいかもしれませんよ?」
『うううううぅぅぅぅぅっ』
 ダメのようでした。
 正直な話、私だってお気に入りの場所があると人には譲りたくないときはあるので気持ちは分かるのです。さっきの説得の言葉とは言っていることが違いますが、やはり本音と建前を一緒にならないものなので。
「ううむ。その場所はそんなにあなたにとっての思い入れのある場所なのですか。なにか前のご主人との思い出などがあるのでしょうか?」
『うぉうっ!』
 見た感じではクロシェはテコでも動かないようでした。幽霊のくせになんと意思の固いことでしょう。
「……は~」
 大きなため息。これは私の降参の証でした。
「仕方ありません。母には私から別の場所にするよう言っておきましょう」
『うぉう』
 クロシェの声はいつものそれに戻っていました。
 どうやらクロシェも私の言葉に機嫌を直してくれたようです。
 私は肩を落として自分の家の中に帰ります。
 敗者は去るのみということ。
 すみませんでした母さん。娘は頑張ったけれどご期待にはそえることができませんでした。

     *

『うぉうっ! うぉうっ! うぉうっ!うぉううぉううぉううぉうっ!』
「ふあっ!? なんです。なんですかっ?」
 夜半。私の意識を覚醒させたのは、クロシェの猛烈な鳴き声でした。
 外でクロシェがやたらめったら咆え続けています。それは普通ならばご近所中に響き渡っているほどのもの。けれど今それが聞こえているのは私だけです。
 手元の時計を見ると時刻は二時。丑三つ時です。丑三つ時に幽霊犬が咆えております。
 どうやら誰かに向って咆えているようであり、間違いなく今はお客さんが来るような時間ではありません。
 おそらく物理的な牙も持たないクロシェは、相手を威嚇するために必死で吠え立てているのでしょう。
 耳を澄ますと、確かにクロシェの鳴き声に混ざって人間の足音と、別のなにかの音が聞えています。
 がっ、がっ、がっ、がっ。
 聞えるのは硬さのあるものを叩いているような音。
 これは何の音でしょうか。
 泥棒かもしれなません。
 もしかしたら強盗が押し入ろうとしているのかも。
『うぉうっ! うぉうっ! うううぉうっ!』
 クロシェの鳴き声はさらに音量を増していきます。
 私はふとんから立ち上がります。もちろん怖いですが、クロシェの声に勇気をもらって自分を奮い立たせます。
 隣で未だ気持ち良さそうに寝息を立てている妹を起こさぬように気をつけながら、急いで居間まで行くと、居間や廊下の電灯をすべて点けてテレビもつけてから大音量にします。家がにわかに明るくなり音が漏れ出して、これでもかというほどの人の気配が家から出ます。住人が中で起きていることを教えることにより、泥棒に警戒心を抱かせて諦めてもらおうという最低限の護身テクニックでした。
 やはりその変化に反応したのでしょう。いつの間にか玄関の向こうの気配は感じられなくなっていました。
 クロシェの方も先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように静かなものになっています。
 こっそりと少しだけ玄関の戸を開いて外を見てみますが、そこにはもう誰もいません。クロシェはいつもどおりにそこいて、けれど今日はいつもと違ってとても興奮した様子で誰もいない門の方を睨んでいます。
「クロシェ? 狼藉者は去りましたか」
『うぉうっ!』
「そうですか。ご苦労様でした。さすがは万能犬ですねクロシェ」
『ううぉうっ!』
 私はクロシェの頭を軽く撫でてから、しっかりと鍵をかけて再び部屋に戻ります。
 きっと私ではない犬に詳しい人が見たら今のクロシェの状態がおかしかったことが気づいたかもしれません。
 クロシェは興奮していたのではなく、殺気立っていたのだということに。

     *

「じゃあ今晩はお世話になるね、鏡ちゃんっ」
「はい。受けたまわりました」
 学校からの帰り道を、私はミノリさんと並んで歩いていました。
 どちらも部活動には参加していなかったので、一緒に帰ることが最近の習慣でした。
 今夜はミノリさんが私の家に泊まりに来ることになっているのでした。私を除く家族全員が親戚の法事に出かけていることを話すと、じゃあお泊り会をしようとミノリさんが提案されたのでした。突然な話でしたが、お泊り会などはやったことがなかったので、私の方も二つ返事で了解していました。
 そして今しがたミノリさんの家の前で、一旦別れてきたのです。この後準備を整え次第にすぐに来ることになっています。
 家に帰ると、黒川家の留守を預かってくれていた黒犬が玄関で迎えてくれました。
 私はクロシェの前でかがみ、いつものように撫でられない頭を軽く撫で、
「お留守番ご苦労様です。クロシェ」
『うぉうっ!』
「先日はかっこよかったですよ。また泥棒が来たらあのようにして知らせてくださいね」
『うぉう』
「ふふふ。お前は賢い犬のようです。賢人ならぬ賢犬ですね」
 残念ながらクロシェは私の褒め言葉が理解できないようで、所在なさげに少しだけ唸ってみせると、すぐにいつものように惰眠を再開したのでした。
 よーく眺めてみると、呼吸のたびにクロシェの尖った耳が揺れています。幽霊でも呼吸はするものなのか、などという疑問は置いておいて、それはなかなかかわゆい仕草です。目も細められ、気持ち良さそうに温かな日差しを浴びて眠っています。
 触れられないとわかっていても、なんだかその揺れる耳には手を伸ばしたくなるものがありました。
 そーっとそーっと、クロシェを起こさないように静かに手を伸ばします。
 あとちょっと、あとちょっとというところで、クロシェの目がカッと開かれ、そしてその黒き体躯がいつものけだるげさからは想像もつかないほどの機敏な動きで立ち上がりました。
「わわっ! ごめんなさい。まさかそんなに嫌がるとはっ」
「誰に謝ってるの? 鏡ちゃん」
 その声は背後からのもの。
 振り向くとそこには、いつの間にか来ていたミノリさんの姿がありました。
 制服ではなく私服。手には着替えが入っているのでしょう鞄を持っています。
 そしてもう片方の手には紐が握られていて、その先は首輪に、一頭の犬につながっています。白と茶色の長い毛を持った上品そうな犬。たしかコリーという種類だったでしょうか。
「ああ、いえ、その……そう、早かったですねミノリさんっ」
「うん。すごく楽しみだったから走ってきたの」
 そして紐を握った片手を持ち上げ、
「それと悪いんだけどさ、今日うちでも面倒見る人がいなかったからこの子、連れてきちゃったの。家には入れないからさ。大丈夫かな?」
「え、…………ええ。きっと大丈夫だと思います」
「良かった。そういえばここに平助さんの小屋があったんだよね」
 耳慣れぬ名前を呼びながら、ミノリさんは現在クロシェの座となっている玄関先に目を向けます。
「平助さん? それがその犬の名前だったのですか」
「うん。葵さんの死んだ息子さんの名前なんだって」
 当然ながら初めて聞く話に私は驚きます。しかし今はそれよりも他のことに対して既に動揺を隠していたので、その驚きは顔にも出ませんでした。
「けっこう仲良かったんだよ。遊びに来るたびにじゃれついてきてさ」
「…………そう、そうですか」
「うん。気に入ったものを埋めるのが大好きで、私も一度ブローチを埋められたことがあるの。おもしろいでしょ」
「…………ええ。まったくですね」
「どうしたの鏡ちゃん? なんだか調子悪そうだけど」
「……ああ、いえ、そんなことはありません。それよりも早く家に入りましょう。さあ入りましょう。ワンちゃんは玄関においてくれればいいので」
 私は急いでミノリさんの背中を押します。扉を開け、中に迎え入れました。
 まだ彼女は私の方を心配そうに見ています。
 しかし私自身の身体はどこにも悪いところはありません。
 気になることはむしろ内よりも外。
『うううううぅぅぅぅぅ!!』
 それはあの大人しいクロシェが、ミノリさんを前にしてからずっとあの調子で唸り続けていたからでした。

     *

 夜になった。
 まだ夕食を食べ終えたばかりだが、この家の住人である黒川鏡は既に布団に入って寝息を立てている。私が食事に混入した睡眠薬のせいだった。
 さっそく私はこの家に新しい住人がやってきてからやることができなかったことを開始する。
 それは家捜しだ。しかし探すものは黒川家の財産などではない。目当てはこの家の前の住人、葵達弘さんの遺産だった。
 あのじいさんは生前からずいぶんな金を溜め込んでいたが、それを決してどこにも貯金をしようとしていなかった。以前一度だけ見てしまった金庫の中には、札束が山と積まれていたのを今でも鮮明に覚えている。
 そしてあの金を手に入れるために自然死に見せかけてあのじいさんを殺したというのに、金庫の中の金は手に入らなかった。なぜなら金庫の中身が無くなってしまっていたからだ。直前に銀行に預けたという話も聞かないし、使ったわけでもない。遺族の話ではそういう遺産は一切見つかっていないと聞いている。
 そこで私はじいさんがあの金をこの家のどこかに隠したのであろうと考えた。
 じいさんの死後、何度もこの家の中を探してまわったが収穫はゼロであり、すぐに新しい人が引っ越してきて、家捜しもできなくなった。
 けれど先日、この家の娘である黒川鏡との話の中で、私は重要なことを思い出した。まだ探していなかった場所を。
 それは玄関先の庭。
 ここはじいさんが生前飼っていた犬の小屋がある場所だった。
 もしかしたら犬小屋の下に埋めたのかもしれないと私は考えたのだ。
 昨夜は作業を始めた途端に住人が起きてきたのであわてて引き上げたが、今日ならば家の住人は長女を除いて出かけているし、その長女も今や夢の中だ。
 今夜中に掘り出して穴はまた埋めなおしておく。盗まれたことを知っている者はいないので探される心配もない。もしここになければもう諦めるしかなかったので、私は最後の希望をこめてスコップをにぎっていた。
 がっ、がっ、がっ、がっ。
 土はやわらかくないが、少しずつでも確実に掘り進んでいる。
「ん?」
 ふと、土を掘る手が止まる。
 そういえば夜とスコップという組み合わせに思い出すものがあったのだ。
 あの時もこうして月明かりを頼りに高架下の土を掘っていた。あれを埋めるために。
 ザッ。
「っ!?」
 背後に感じた気配に私は飛びのいた。
 聞えたのは何かが地面をする音。
 振り向き見た玄関先にいたのは一頭の犬。
 一頭の長い毛を持つコリーが月明かりに照らされていた。それはうちから連れてきていた飼い犬だった。緊張していて、犬がいることをすっかり忘れていた。
「……なんだ。驚かせないでよ」
 犬は私の方を静かに眺めている。
 その姿はいつも見ているもののはずなのに、なぜか懐かしさを感じるもので、
「うぉうっ!」
「……あんたそんな鳴き声だった?」
「うぉうっ!」
 犬はまた私に向って咆える。
 いつもとは違う。しかし聞き覚えがある鳴き声で、
「ううぉうっ!」
 咆える犬は明らかに私を威嚇している。
 その顔は夕方に見たものとは感じが変わっていた。
 犬の目は、殺意に満たされている。
 それは私が殺した、あの犬の目に――

     *

 昨夜、近頃は姿を見せていなかったあの嫌な匂いのする女がこの家にやってきていた。
 親父が生きていたころから、いつも不吉な匂いを漂わせながらやってきていたあの女が。
 そして翌日である今日も、再びあの女はやってきた。ありがたいことに俺の新しい身体を連れて。
 やってきたのだ、あの女が。
 俺を叩き殺し山に埋めたあの女が。
 年老いた親父を俺の目の前で殺したあの女が!
『うううううぅぅぅぅっ!』
 女がスコップで玄関先の庭を掘っている。
 そこは俺の場所だ。俺が親父から最初に与えられた場所だぞ!
 そこを汚す権利などお前にはない!
 いや、もはやそんなものはどうだろうがかまいはしない。
 俺は復讐を果たすだけだ。
 そのために今まで留まっていたのだから!
「うううううぅぅぅぅっ!」
「な、なんだよ。どうしたのさ、そんなに唸っちゃって……」
 女がたじろいでいる。
 しかしもう遅い。
 殺してやる。
 殺してやるぞ。
 引き裂き、噛み千切り、踏みにじってやる。
 四肢を砕き腹を食い破り、肉をえぐってやる。
 喉笛を食いちぎり、腸をぶちまけてその中身を晒してやる。
 お前のすべてを微塵に引き千切り、そして埋めてやる。あの日の俺のように!
「『うううううぅぅぅぅぅぅっ!』」

「『ううぉうっ!!』」

     *

 朝目覚めると、その家にあった人間の姿は私のものになっていました。
 その日のうちにミノリさんが失踪したという知らせを受け、私も警察の方に話を聞かれることなりました。なんでもミノリさんがいなくなった夜、私が何者かによって睡眠薬を飲まされていたことが家に残っていた薬ビンから判明し、そこからなにかしらの事件性が疑われたらしいのです。
 そして、私の周りではもう一つの変化がありました。
 それはミノリさんが消えてしまった朝以来、我が家に住み着いていた黒犬の姿さえも見えなくなってしまったことです。
 もともとここにはいない犬でしたが、その日以降ついにその霊さえも姿を見えなくなってしまいました。
 私と妹はひとしきりクロシェとの別れを悲しみ、そしてもとからこうなる運命だったと諦めることにしました。
 こうしてとどまりの黒犬であったクロシェはその座よりいなくなり、その場所はやっと花が飾れるようになった母の手によって小さな花壇とされました。私と妹はその花壇をクロシェの墓標と思い、今も花の世話を手伝っています。

 あれから数日が経ったある日のことでした。
 妹と一緒に町を歩いていたときに私たちは一頭の犬とすれ違いました。
 それは長い毛を持つコリーで、
「姉さんあの犬……」
「ええ、似ていましたね」
 その犬の毛色は黒。
 それはまるで張り付いた血が乾いたような、淀んだ赤を帯びた黒色でした。

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読みました。
 前回見せてもらった物より、ずいぶんと良くなっています。でもミスタイプらしき所がありました。

>私が父の仕事の都合で関西圏にある地方都市、I市にやったのは十六の夏のことです。

”I市にやったのは”『I市にやって来たのは』のミスタイプでしょうか?それともこういった表現方法なのでしょうか?
 気になります(><)
李亀醒 URL 2006/10/26(Thu)02:03:10 編集
無題
さっそく直しておきます。ご指摘ありがとうございました!

今後も同じことがあればよろしくお願いします
ナギ×ナギ URL 2006/10/27(Fri)03:00:19 編集
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