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みなこちゃんが私と友達だったのは、小学三年生の時の一学期の間だけだった。
他の子と比べると背の低かったみなこちゃんは、内気だったために、最初はみんなとも仲良くなれないでいた。
そんな彼女の、最初の友達になったのが私だった。どういうきっかけがあったのか思い出せないけれど、誰とも話せないでいたみなこちゃんに、私が最初に声をかけた。
それからはみなこちゃんも、みんなと普通に遊べるようになった。けれど、やはり少し臆病な彼女は、いつも私の後ろに隠れていた。私が左手をさしだし、みなこちゃんがそっとつかまってくる。それが私とみなこちゃんのいつもの決まりごとだった。
いつのまにか、私の左手はみなこちゃんの特等席になっていた。
ずっとにぎり合っていたので、家に帰ってもその感触が残っていたこともあった。その時は、みなこちゃんも同じなんだろうな、と思い自然に笑みがこぼれたものだった。
学校の一学期はあっという間に過ぎ去り、夏休みに入った。
終業式の日、みなこちゃんともいっしょに遊ぶ約束をして、学校の前で別れた。
夏休みは何をして遊ぼうか、胸がいっぱいだった。
ぼんやりと感触の残る左手を眺めながら、私は家に帰った。
けれど私とみなこちゃんが、いっしょに遊ぶことは、二度となかった。
帰宅すると、青い顔をした母が私に告げた。
「みなこちゃん、事故に遭ったんですって」
交通事故らしかった。
運転を誤った軽自動車が歩道につっこみ、歩いていた小学生を一人巻き込んで、そのまま壁に衝突したのだそうだ。
即死だった。
まだ死ということの意味が、よくわかっていなかった私は、変な気持ちのまま、みなこちゃんのお葬式に参列した。
もう一度みなこちゃんの顔を見たかったけれど、それは許されなかった。
後で聞かされた話だが、身体の小さかったみなこちゃんは、事故でバラバラになってしまって、全部を集めたはずなのに、その右手と、その他のいくつかの部分が見つからなかったそうだ。
黒い服を着た人たちは、みんな悲しそうに涙を流していたが、私には実感が湧かなかった。喪失感、というものがわからなかった。
私の手には左手には、みなこちゃんの手の感触が残っていた。
それが奇妙な感慨となって、まだそこにみなこちゃんがいるような気がしていた。
あれから八年の月日が過ぎた。
もうあの頃のクラスメート達は、みなこちゃんの顔も思い出せないだろう。
けれど私は違う。今でも鮮明に彼女のことを思い出すことができる。
あの幼く、小さな身体。うっすらとした笑みを私は忘れることはない。
なぜなら私の左手は、まだみなこちゃんの手の感触を忘れていなかったから。
今でも、ふと気がつくと、だれかが私の左手をにぎっている感じがするときがある。
それは錯覚だったが、それでも不思議と存在感のあるものだった。
いつの頃からか、私は左手をほとんど使わなくなっいた。
私の左手は、今でも彼女の特等席なのだ。