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005では、ぼくが大ファンな『戯言シリーズ』とリンクしている描写があります。
説明のところにちょうどよかったので、使ったのですが、こういうのってありなのかな? まあ知ってる人しか分からないんだろうけど。
そしてでましたー、間違いことわざを持ちネタとするキャラクター。このネタは使ってて面白いから大好きです!
何度か見直したつもりですが、まだ書き間違いなどあれば、是非に指摘してください。
005
「“音無しの呪い”ねえ」
くわえていたタバコを離してから、この病院(?)の医者である、砂里豹子(すなざと・ひょうこ)先生は言った。
短くなったタバコを、既に捨てられた残骸で、白いウニのようになっている灰皿に押し付け、砂里先生は鋭い目で部屋の端にある丸椅子に座るぼく――宿木都(やどりぎ・みやこ)を睨んだ。
別に本当に睨んだわけではないだろうが、その肉食獣が獲物を威嚇するような瞳は、見るだけである程度こちらを萎縮させる力を持つ。砂里先生は、たぶん二十代半ばの厳しい印象を持つ女性だ。艶やかな黒髪は首元で綺麗に真横にそろえられ、タイトのスカートから伸びた足は、しなやかであって長く、サバンナを走る狩人を髣髴とさせる。これはこれで『名は体を表す』なのだろうか。ポリシーとしていつも着ている白衣は、すすで汚れたぼくたちと触れた時にだろう、わずかに黒ずんでいる。
ガーデン山吹で火事が起こり、ぼくはすぐに三和川ミナと向居カンナの住んでいるはずの101号へと飛び込んだ。幸い玄関は開いていて、家の中に走りこむと、窓際の部屋で向居カンナが倒れているのを見つけた。他の部屋を探しても三和川の姿がなかったので、彼女はちょうど出かけているところなのだろうと判断し、向居だけを家から助け出した。家の外には消防車が来て、野次馬が集まりだしていたので、ぼくは裏口から向居を背負って外に出た。それは向居カンナが、病院に運び込まれたりしては困る体であることを知っていたからだ。
触れるものや、その身体自体から一切の音を発しない。消してしまうなど、普通ありえることではない。つまり、人目に触れては困るのだ。三和川に聞いた話では三年近くこの状態を継続しているのだから、もしかしたら専門の医者かなにかがいるのかもしれないが、そんなものは知らないし、探している暇もない。ぼくはすぐにタクシーを捕まえ、隣町まで向かった。伍葵市で一番の歓楽街のある町、琥珀町。その裏町の小さなビルに。そここそが、闇医者、砂里豹子の経営する病院だったのである。
四階建てのビルの四階の空間全てが、砂里先生のオフィス兼病院兼自宅である。ビル自体の造りが古いために、どのドアも立て付けが悪かったり、それどころか開かないものまで時にはあるが、それでも中はいつも清潔にされているのは、やはり先生の医者としての性格の故だろう。ぼくと先生はそのリビングで、少し間隔を空けて、適当な椅子に座っている。
向居は汚れていた制服も脱がされ(ぼくが脱がせたんじゃないぞ!)、今は砂里先生の適当な私服を着せてもらってから、隣の部屋のベッドの上で寝息を立てている。
安らかな寝顔だった。助け出したときは、あんなにも苦しそうにしていたのに。
診察は終えたらしい。タバコも一本吸い終わり、その落ち着いた様子から見ると、どうやら問題もないようだ。
さきほどまで黙らされていたぼくだったが、そろそろ向居のことを訊いてみることにした。
「砂里先生。どうですか? 向居の身体は」
「おかしいよ」
はっきりと、なんの躊躇いも戸惑いもなく、切り捨てるように砂里先生は言った。
「おかしくないわけがないだろう。音がしないんだぞ、音が。これがおかしくなかったら、ラップ現象なんざ台所を使うたびに起こっているだろうよ」
砂里先生はまくし立てるように言った。
乱暴に机の上のタバコを手に取ると、一本出して口にくわえ、すぐさまライターで火をつけた。そのライターが銃の形をしていて(往年のピースメーカーだ)、それを構える姿はやたらと砂里先生に似合っていて、かっこいい。
砂里先生は、タバコをくわえたまま、机の上に乱雑におかれていたカルテを手に取った。
「まあ、その点に目を瞑れば……悪いところはない。過剰の二酸化炭素を吸ったってわけでもなさそうだ。大きな火に驚いて気絶したってところだろう」
砂里先生はすぐに持っていたカルテを、ぼくに渡した。
しかしなにやら筆記体の英語で書かれているので、ぼくにはまったく解読できなかった。
「だが、そのおかげでずっと頭を低くしていられて、煙を吸わなかったんだから。運がいいんだろうよ。この子は」
やはり読めないことはわかっていてくれたらしく、そこに書いてあるであろう内容を、砂里先生は話してくれた。
「それでも火事に巻き込まれてる時点で、運は悪いか。『不幸中の災い』ってとこだろうよ」
「めちゃくちゃついてないですね。それ」
そして愚痴でも言うかのように、話を続けた。
「まったく……。心臓の音も聞こえないし、呼吸音もしない。触診なんてあんまりしたことないから、やたらと手間取ったよ。あー、しんどい。ミヤ、肩揉みな」
「……はい」
ぼくは素直に従い、砂里先生の後ろに回る。肩揉みは案外得意な方だった。
しばらく無言の奉仕時間が流れた。
時計を見ると、もう夜の十一時を回っており、当然ながら寮の門限などとっくの昔にオーバーしている。今のうちに反省文の内容を考えておくのも、ありかもしれない。
「実際な。なんなんだ、あの現象は」
砂里先生が、肩揉みを始めてから三本目のタバコを吸い終わったところで、呟くように言った。
「だから“呪い”なのでは?」
「“呪い”ねえ。呪い呪い呪い……そんな一言で、なんでも片付けてるんじゃない。あたしはそんな簡単に思考を放棄できるほど、たやすい頭の構造をしてないんだよ」
砂里先生はイライラとした口調で言った。新しくくわえたタバコを、噛み千切らんばかりの形相になっている。
しかしこれもいつものことか。
ぼくも砂里先生の思考に合わせて、考えてみる。
今まで見てきた、向居カンナの“音無しの呪い”によって起こった現象は、一つは、心臓音や声といった、向居本人から出るはずの音が一切聞こえないということ、もう一つは花瓶やぼく自身の時のように、向居に触れているものの音も、同様に聞こえなくなってしまう、というものだった。
音がない、と一言で言っても、発せないだけであって、向居には聞こえてはいる。
何度か三和川が向居に話しかけているのを見たことがあるが、特に手振りがなくとも反応していたころから、ちゃんと聞こえてはいるらしい。
これらから分かることは、向居の身体に触れる“音”が消えているというわけではない、ということだ。もしそうならば、音は向居の耳、その鼓膜に触れた時点でかき消されてしまわなくてはならなくなる。
つまり、向居の周囲の音は、発せられないのではなく、他者に認識できない、ということになるのではないだろうか。
「どうだ。少しは考えたか?」
多少の考える時間を与えた後で、砂里先生は訊いてきた。
ぼくは、はいと答え、さきほどの考えをある程度まとめてから砂里先生に話した。そして先生は一度頷き、言った。
「そうだな。だいたい私も同じようなことを考えていた。他にも無音空間、というのならば真空中ならそうだがな。もしも真空の膜が、あの娘の身体を常に包んでいるというのならば、音の出入りが一切なくなってもおかしくはないだろう」
こういう話をしている時の砂里先生は、とても知的な人に見える。医者をやっているくらいだから(しかも、違法の闇医者だ)実際、頭はいいんだろうけど、普段から言動が暴力的だったりするので、あまりそういう面は見られないのだ。
やはり考えることはかなり違ったが、それでも新しい見解に、ぼくは感心して頷いた。
しかし砂里先生はすぐに不機嫌そうに顔を歪めて、
「阿呆」
と、ぼくを叱った。
「おかしくないわけないだろうが! 真空に包まれたりしたら、たしかに音は通らないが同時に空気だって通らない。中のやつはすぐに死んでしまうよ。それにそんなものが本当にあったりしたら、触れた時にすぐ気づくし、触れているものからも同様の現象が見られる、ということに説明がつかない」
砂里先生は一気にその説明をした。
もう少しでついていけなくなるかと思ったが、なんとかぼくにも理解することができた。
「あたしが思うに……」
砂里先生がさらに真剣な顔になり、話を続けた。
「あれは、認識対象の聴覚に影響を及ぼす催眠的効果ではないだろうか」
「…………?」
なにか難しい単語が羅列された。
どう見ても、言われていることがわかっていない顔をしているぼくを見て、砂里先生は説明を再開した。
「ミヤ、お前も言っただろう。向居カンナの“音”は、発せられないのではなく、他者に認識できないだけなのでは、と。それだよ。自分を含めた周囲の人間に、“向居カンナ自身、または彼女の触れているものから発する音は聞こえない”という暗示を、向居カンナが出しているとしたら、まあ、納得はできるし、説明もつく」
「でも、催眠って言っても、そんなにうまくいくでしょうか? それだと聞こえていないって思い込まされても、実際は聞こえているわけですから」
「しょうがないな。では、一つ実践してみよう。ミヤ、手を出しな」
言われ、ぼくは右手を砂里先生の方に伸ばした。
すると先生がぼくの方に近づいてきて、伸ばした手首をつかんで持っていった。
自分の、胸に。
「っ!?」
すぐに手は離され、手のひらにあった感触は、もう分からなくなった。
「どうだった?」
「え? いや、その、柔らかというか。でも一瞬だったので……」
あわてているぼくの反応を、楽しむように眺めた砂里先生は、それこそ愉快そうに、違うよ、と言って、その目を足元へと向けた。
ぼくもそれを追って、視線を傾ける。
そして、それを見ながら砂里先生は言った。
「あたしはね。あたしのハイヒールで踏まれたつま先はどうだった、って訊いたんだよ」
ぼくの足、土で汚れたスニーカーの先に、砂里先生のハイヒールのかかとが突き刺さっていた。しかも、モロに小指の位置だ。先生はすぐに足を離してくれたが、その痛みはまだ持続している。
先生の言ったとおり、たしかにぼくは、手の感触に意識を集中しえいたために、足の痛さに気づかなかった。感覚の一つをごまかされたのだ。
実践されてしまうと、触覚で出来たことが聴覚で出来ない道理はない。これが催眠効果というやつの一種なのか。
ぼくが納得したのを見て取った砂里先生は、説明を続けた。
「分かったか? これが一種の催眠効果だ。他者の認識の方向性を誘導して、意識の空白を作る」
「……意識の、空白?」
「ああ。といってもこいつは、あたしの闇医者仲間の友達に聞いたものなんだけどな」
受け売りってやつさ、と砂里先生は笑った。
その友達とやらも、やはり砂里先生同様、裏家業の人なのだろう。なるべく会うことがないことを祈りたいものだ。
「あたしにできる考察はこんなものだろう。こんなことが分かったところで、何かが解決するわけでもないんだけどね」
砂里先生は、そう言って話を閉めた。
話を聞き終え、やはりぼくは感心させられていた。
やはり医者の本分なのだろうか。こんな怪奇現象にさえ、現実的な視点から、それこそメスを入れている。ぼくのような子供にはできないことだ。怪異を、幼いころに見せつけられたぼくのような人間には。
もう話はないのか、と思われたが、砂里先生は自分の椅子の上で、新しいタバコに火をつけながら、それにしても、と呟くように言った。
ぼくはすぐにそれに耳を傾ける。
「これで四人目だぞ」
砂里先生は、はっきりとした声でそう言った。
「はい?」
「ミヤ。お前がうちに運んできた患者の数だ。それも、おかしな客ばかり!」
砂里先生が強い調子で言う。
そうして砂里先生は、たまっていた鬱憤を発散するように、話を続けた。
「最初は、……そうだ。最初はたしかにあたしだった。あの“魚”の時だ。たしかにあの時、お前には世話になったし、だからこそ今までも、こうしてお前の運んでくる患者は診てきた!」
「しっかりお金は採ってますけどね」
「当たり前だ! 仕事と私情は別物。『時と場所なり』だ!」
「ケース・バイ・ケースなんですね」
正解は『時は金なり』、だ。
「あれからというもの、これで四人だぞ。四人っ! “ネジ”のガキに、“三角”女に、この前のはたしか……ああ、もう思い出したくもない!」
砂里先生は首を振りながら言った。
一番最近のこと、となると半年前のことだろう。
あの“蛇”の時だ。
たしかにあれはぼくの知る中でも、一番の難題だった。巻き込んでしまった砂里先生には、思うところがないとは、とてもではないが言うことはできない。
「分からないぞ、ミヤ! どうしてお前は、こうも次々と変り種ばかりを連れてくるんだ。闇医者の中でもこんな客ばかりを扱うのは、あたしくらいのものだ。たまには普通の患者を連れてこられないのか!?」
砂里先生はここぞとばかりに言った。それでも声は患者を起こさない程度にとどめているのは、先生なりのプロ意識の表れだろう。
「普通の患者だったら、こんなところには連れてきませんっ!」
という言葉は、理性で口から出るところを押しとどめた。
代わりになるべく申し訳なさそうな態度をとって、
「反省しています。以後、気をつけます」
「心無い事を言うな。聞いた人間はひどく不快になるんだよ」
内心はバレバレのようだった。
しかし砂里先生には申し訳ないが、今後も同じようなことがあれば、間違いなくぼくは先生を頼るだろう。なにしろまだぼくはまだ高校生だ。限界はあまりに多く、近い。それでも巻き込む人はできるだけ少なくしたいので、ぼくの周りで誰かが怪我をしたときは、きっとまた砂里先生を頼ることになる。そんな時でも先生はそれを断ったりはしないだろう。先生は、こんなことは言っているが、やはり医者をやっているだけあって、怪我をしている人を放っておけない人なのだ。
「あたしの言いたいのはだな」
そう言って、砂里先生がぼくの方を睨んだ。
この日一番の眼光。
ぼくは瞬時に何も言えず、動けなくなる。
「ミヤ、……いや、宿木都、お前はいつまでこんなことを続ける気なんだ、ってことだよ。まだ若いお前が、こんな危険なことをしている理由をあたしは知らない。聞く気はないし、きっとお前も話す気はないんだろう。だが、これだけは言わせてもらう。」
一息をついて、砂里先生は言った。
冷めた空気を漂わせながら、
「お前は、死ぬために生きてるんじゃないんだよ」
砂里先生は、その眼差しのまま、そう言い、
「死ぬために生まれた人間なんて、いやしないんだ」
と、続けた。
心の、奥底まで入ってくるような、鋭い言葉。
そういえば、砂里先生とこんな話をするのは初めてだった。
そう。たしかに先生は知らない。
ぼくがこんなことをしている理由を。
ぼくの過去を。
それを聞かず、それでもはっきりと言ってくれるのは、大人の経験といったところだろうか。
そんな砂里先生の言葉を、ぼくは素直にありがたい、と思った。
でも、
「分かってますよ。先生。ぼくは死にません。絶対に。それが……約束ですから」
いつの間にか、自分の膝の上で、右手が強く握られていることに気がついた。
力のこもった手。
それはあの日立てた誓いの力だ。
――都くんは、死んじゃダメだよ。
――行け! 絶対にお前は帰るんだ!
――死にたく……ないよぉ。
――また、会おうね。どこかできっと、だからそれまで……
――ゴメンね。お兄ちゃん。
昔に聞いた、いくつかの言葉が頭にリフレインする。
決して色あせることのない、鮮明な記憶が。
あの過去がぼくに手を強く握らせる。
「それに、これだって続けます。向居さんだって助ける。これからも、何人だって助けてやる。そして……」
そして、――ぼくは目的を果たす。
失われたものを、取り戻す。
たとえ何年かかろうとも。
どれだけ自分を犠牲にしようとも。
そのためには悪魔の手を借りることだって、厭わない。
最後の言葉は、ぼくの口から出ることはなかった。
それはぼくと砂里先生の注意が、別のところへと向いたからだ。
見ると、隣の部屋のドアが開こうとしていた。
立て付けの悪い、いつも動かすたびにギイギイと音を立てていたドアが、静かに、何の音もさせずに開いたのだ。
ドアを開けてやってきたのは、髪の長い浅黄色の少し大きめのパジャマを来た少女。
目を覚ました向居カンナは、ぼくたちの前に姿を現した。
*
同じ時刻、琥珀町の町境で一台のタクシーが、その車体を変形させ、真っ赤に炎上していた。
闇夜を照らすその大火を背に、一人の少女が琥珀町の方角を睨んでいる。