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修正に修正に修正を重ね、最終のまとめ版です。
これまでの一章ごとにあった誤字脱字を直しつくしました。もうない! あるわけない! そしてご指摘を受けた部分を書き加えました。何度も読んでくれている人が見つけやすいように、赤くしておきました。
投稿サイトにも投稿してきました。また長編は書いてみようと思っています。そのときも是非とも応援お願いします!
000
ぼくは夢を見ていた。
昔のことを。
幸せな笑顔を浮かべて、友達と駆けていた日を。
二十年も生きていないのに、今も昔もないだろう、と言われるかもしれない。
けれどぼくにとって昔とは、確実に存在する。
今と昔の分かれ目は、五年前のあの夏の日のことだ。
空気さえも焦げるような、あの一日。
決してその光を絶やさない灼熱の太陽。
四方から響き、鳴り止むことのない蝉時雨。
木立の影。数え切れないほどの青い葉が、風でこすれあう音。
合わせ鏡の中の像のように、どこまでもどこまでも続く真っ赤な鳥居。
そして、あいつの姿。
ぼくは夢の中でも苦しんでいた。
あいつは夢の中でも苦しんでいるぼくを見て、笑っていた。
あの日こそがぼくの人生の転換点だった。
あの日より前はぼくにとって全てが昔のことで、過去として区分される時間。そしてあの日以降、今日まで続いてきた時間、五年間の全ては決して途切れることなく続く、明確な“今”なのだ。
ぼくは“今”を生きている、と言うことが出来る。
生かされている、と言うことも出来る。
そして、生き残っている、ということも。
常に生を感じ続けている人生。
それは決して死を忘れられないということ。
ぼくは死んではいけない。
生き抜かなければならない。
それは課せられた義務であって、
それは託された願いであって、
それは信じた希望であって、
それは、ぼくの意地だ。
夢の中でも僕は生きていた。
何度も何度も死ぬ夢を見てきたぼくが、生きている夢を見たのなんて、これが初めてかもしれない。
ならばこのまま生きていよう。
目覚めの時を感じ始める。
もう夢は終わるようだ。
だから最後にこれだけは言っておく。
これはついているやつらの物語だ。
最高についている。幸運の塊のような人間達の物語なのだ。
夢の終わりは、夢の始まりを告げる。
では、そんな人間達の話を、始めよう。
001
ぼく――宿木都(やどりぎ・みやこ)が目を覚ました時、最初に目に入ってきたのは、綺麗な真っ白の天井だった。
身体を包む柔らかな感触から、自分が布団の中で寝ている事が分かる。けれど、ここはぼくの部屋ではない。ぼくが住んでいるのは、古風な木造建築の寮であり、名を『第六・浅黄(あさぎ)寮』という。戦前から建っているのではないかと見る者に思わせるほどのオンボロ寮だ。ぼくの部屋も造りは同様で、天井だって木目のある木の板だ。だから、ここがぼくの部屋ではないということだけは判明した。
ならばここはどこなのだろうか。もう一度目をつぶり、起き上がらずに考えてみる。
何かを思い出す時は、いつも朝の出来事から順に思い出していくものだ。
ぼくは現在15歳であり、伍葵市を見渡す小高い山の中腹に建っている学校、坂上学園に通っている。成績はあるゆる科目において飛びぬけて悪くも良くもなかったので、留年も飛び級もすることはなく、普通に高等部の一年生だ。
たしか今朝は少し寝坊気味で登校した。ぼくは遅刻の常習犯ではあったが、今日はギリギリ間で合っていた。授業も、間に居眠りをすることはあったが、ほどほどにこなして、昼飯は菓子パンを食べて、午後の授業は半分くらい寝ていて、放課後――
そこまで考えて、やっと気づいた。
放課後の記憶がない!
それはつまり、
「痛ててっ!」
何か思考がまとまりそうになったところで、激しい頭痛を感じた。
いや、頭痛でいいのだろうか? この痛みは中から来るものでなく、間違いなく外から来たものだ。脳天にこぶでも出来ているのか、頭痛の元はその部分に枕に触れたことだった。自分の身体のことだから、その状態はだいだいは見なくても分かる。たぶんこれは、こすれるだけで涙が出るほど痛みの来る程のものだろう。
なんだ? なんでこんなところに、こぶが出来ているんだ?
生じた痛みのせいで、さきほどまで考えていたことの内容が真っ白になっていた。
「あ、起きたのね。都ちゃん」
その声は、寝ているぼくのすぐ横から聞こえた。
その声には聞き覚えがある、いや、例え聞き覚えがなくても、ぼくの名前を(気にしてるのに!)女の子のように“ちゃん”付けで呼ぶやつは、現在ぼくの周りには一人しかいない。
そいつは先ほどまでパイプ椅子にでも座っていたのか、立ち上がり、上からぼくを見下ろしてきた。肩口ほどまであるくせっ気のある黒髪が、まっすぐに下へと落ちる。睨まれると怖い大きな眼の中に、ぼくの顔を写している。
「おはよう、都ちゃん」
三和川ミナはそうしてもう一度ぼくの名前を言った。
ぼくは痛む頭を触らないようにしながら、上半身を起こす。布団がめくれ落ちて、ぼくは自分が学校指定のブレザーを着たまま眠っていたことを知った。
「なんで三和川がここにいるんだよ」
「なんで、って憶えてないの?」
三和川が首をかしげ、そう言った。
「ああ、なんだか頭が痛くてさ……そうだ。なんでぼくが寝ていたのかも気になるけど、この痛みもそうだ。どうしてぼくの頭はこんなに痛いんだ? 三和川、知ってるなら教えてくれよ」
頭のこぶは触らなくてもヒリヒリしている。声を出すだけで多少は響く。これは完全回復に数日は要するかもしれない。
ぼくの質問に、三和川は真剣な顔で答える。
「それはね。君の頭が幼女しか性の対象として認識できないロリコンブレインだからです」
「そいつはイタいっ! って違うだろう! 誰がぼくがイタい人な理由を説明しろといった!? それ以前にぼくはロリコンじゃない!」
叫ぶようにして突っ込みを入れたために、その振動が脳天のこぶに盛大に響いた。
ぼくは自分の頭を抑えながら布団にうずくまってしまう。
それにしてもなんだロリコンブレインって? ちょっとかっこいいじゃないか。
「ごめんごめん。まさかそんなにノってくるとは思わなくて」
そう言って三和川は、右手の人差し指を口元に当てて言った。
「これは秘密だったよね」
「待てっ! それじゃあぼくが本当はロリコンみたいに聞えるじゃないか」
「そんな風に言ったら、都ちゃんがロリコンじゃないみたいに聞えるよ?」
「ロリコンじゃないよ! それで合ってるよ!」
「でも都ちゃんって、けっこう一匹狼っぽいところがあるよね?」
突然話題が変わったので、ぼくは一瞬戸惑った。
確かにそうだけど……友達少ないけど。一部の人間にはかなり嫌われたりもしてるけど。しかし、それがどうかしたのか。
三和川はぼくの顔を見ないままに、呟くように独り言を始めた。
「ロリコン、ロリコン…………ロンリー・コンプレックス。日本名、孤独症候群。症状、いつも一人でいたくなる。友達が少なくなる。会話が苦手になる。エトセトラエトセトラ」
「なんだそれは!? 何を勝手に新語を創ってるんだっ」
「いいのよ。これから発表するんだから、私が名前をつけたって」
三和川が腕を組んでから、言葉を続ける。
「ちなみに発表の際は都ちゃんの名前を使って出すわ。そしてその名前は《ミヤコ・ロリコン》として世界中で扱われるようになり、後世まで語り継がれていくの」
「すげー恥だーっ!? 世界中に汚点をばらまいてるよ、ぼくっ!?」
「いいじゃない、世界中のたくさんの人が君の名前を呼ぶのよ。これはきっと名誉なことよ」
「名前の下に《ロリコン》が付く名誉なんかいらないっ!?」
そう叫んで、ぼくは頭を抑えて布団の上につっこんだ。
脳天は先ほどから継続して痛みの信号を発信している。これ以上続けていると、本当にどうにかなってしまいそうだ。この女、もしかしてそれが目的なのか?
「痛そうだね。大丈夫?」
「お前のせいだよっ! って、イタタタタ」
マジで痛い。本当にどうしたんだろう。痛さのせいかどうしても思い出せない。
すると、三和川がぼくの頭に手をやって、撫でるように動かした。
「ほーら痛いの痛いの飛んでいけー。…………と油断させたところで、アイアンクロー!」
「ギャー!」
思ったより強かった三和川の手の力に驚くよりも前に、ぼくは痛みで絶叫を上げていた。部屋は狭いのか、ぼくの声ががんがん響いている。洒落にならないぞ、これは。
それにしてもなんなんだこいつは?
このテンションの高さと迷惑さはなんなんだ? そしてなぜその被害をぼくが受けているんだ!?
「何するんだよ!?」
手を離した三和川に、ぼくは声を上げて訊く。
「治るかと思って。ショック療法」
「そんなもので治ってたまるかー! それにショック療法を外傷のある人に使っても、傷が増えるだけだっ!」
ぼくは、はあはあと息切れをしながら突っ込みを入れていた。もう頭の痛みも、何かを通り越してしまってよく分からなくなってきた。大声から来る軽い痛みも、慣れればわりと心地よいものに……って、これじゃマゾだよ!? ショック療法で人格改造されてるよ、ぼく!?
「やっぱり痛かった? 反省してます」
「反省だけなら猿でも出来る。他に何か言えないのかよ」
ぼくが憎らしげに言うと、三和川は本気で分からなそうな顔をして、
「ウッキ―?」
「猿だーっ」
三和川はぼくがまた自分の声にダメージを受けているのを見て、笑いながら言った。
「アハハハ。冗談だよ。誤る誤る」
「誤ってるっ!? 謝れよっ!」
謝る気ゼロのようだった。
三和川の後ろ、この部屋の情景を改めて見ていると、やっと自分が学校の保健室にいることに気づいた。教室の半分ほどの広さの部屋に薬棚と事務机があって、備え付けのベッドが三つ並んでいる。ぼくはその一つに眠っていた。保険医の先生の姿が見えないのは、放課後だからだろうか。
「ここ、保健室か」
「そうよ。都ちゃんは廊下で滑って転んで頭を打ってのびてたの。そこを通りかかった私が助けて、保健室まで運んであげたというわけ」
大雑把だが、一言で済む説明だった。
最初からそう言ってほしかった。なんだったんだ、ここまでの数ページに渡る攻防は。痛み分けどころか、一方的にこちらが被害を受ける形で終わってしまったじゃないか。
ぼくはもう一度、痛くないように注意しながらこぶの部分をさすった。
どうやら、ぼくは転んだ末にこいつを作ってしまったらしい。うう、ぼくめ、なんてドジな野郎なんだ。タイムマシンがあったら、時間を戻って一発殴ってやりたい。もちろん脳天以外のところを、だ。
そこまで考えてから、自分が三和川の世話になっていたことを思い出した。
「そっか。三和川が運んでくれたのか、礼を言わないとな」
「いいよ。お礼はもうもらったから」
「なんだ!? いったいぼくから何をお礼として徴収したと言うんだっ!?」
すると三和川はいやに妖しげに微笑むと、自分の唇をその指先で撫でながら言った。
「都ちゃんって。唇、すごく柔らかいんだね」
「ぼくはファーストを奪われたのかっ!?」
とっさにぼくは自分の唇に残る感触を確かめる。けれど、どれくらい前のものなか分からないそんな一瞬の接触を、さほど敏感でもないぼくの肌が憶えているわけがない。
でもなんだかそんな感じがするような、しないようなー!
「へえ、都ちゃん経験なかったんだ。冗談だよ冗談。奪ってないって」
「紛らわしくて恐ろしい冗談はやめろっ!? 本気でビビったんだからなっ」
本気で怒っているぼくを、三和川はおかしそうに眺めている。
完全に手のひらの上だな。
さて、そろそろかな、と言って、三和川はパイプ椅子から立ち上がった。椅子に立てかけてあった鞄を手に取る。
「憶えてないなら……」
その時に三和川が言った言葉は、小さすぎてぼくの耳に届かなかった。
「じゃあ、私はこれで行くから。お大事にね。都ちゃん」
そう言って、三和川はぼくに背を向けた。外に出ようとして、けれどパイプ椅子を片付ける事を思い出したらしく、一度振り返って、先ほどまで自分が座っていたそれを畳んで、持ち上げた。
――持ち上げた。
――三和川が。
――両手で。
――胸の前辺りで。
その姿に、ぼくは既視感を憶えた。
奇妙な感覚。
なぜか頭のこぶが痛んだ気がする。
三和川が手を振って、何かを言ってから保健室を出て行った。その言葉はぼくの耳には入っていなかった。
扉がバタンと閉まり、その音を拍子にぼくはすべてを思い出した。
なぜぼくが気絶していたか。
なぜ頭がこんなに痛いのか。
なぜ今の姿に既視感を憶えのか。
髪の長い三和川ミナが
廊下の向こうで重そうな花瓶を両手で胸の辺りに支えている
重そうだ
今にも落としそうだから助けてあげないと
走っていくと向こうは首をぶんぶんと左右に振って何かを拒否してい
バランスがそのせいで崩れた
花瓶が落ちるぞ
受け止められるか!?
ダメだ。この角度だとぼくの頭にぶつかる―――――――――
衝撃。
花瓶が割れる感触。
意識が飛ぶ寸前、ぼくはそれに気づいた。
花瓶が、
髪の長い三和川ミナが持っていた花瓶が、ぼくの頭にぶつかって派手に割れた時、
一切の音とというものが出ていなかったということに。
「おいっ! 三和川ちょっと待てよっ」
ぼくは靴下のまま保健室のベッドから降り、今出て行ったばかりの三和川を追った。
まだ遠くには行っていないはずだ。
急いで扉を開ける。
「三和川、さっきお前っ」
声を出し、果たしてそこに三和川の姿はあった。
いや、違う。
髪が長い! そこにいた三和川の髪は腰の位置ほどまであるストレートな黒髪だ。さっきまで一緒にいた三和川の髪は短かった。でも顔は三和川だ!
これはいったい、どういうことだ。
考えるより先に、ぼくの手は動いていた。
すぐそこにいた髪の長い三和川の手を掴んだ。
そして、問いただそうと思って口を開き、
「 」
出なかった。
声が。
いや、声は出したはずだ。感触がある。肺に取り入れた空気を吐き出し、喉を振るわせた感触が。だというのに、口をふさがれているわけでもないというのに、それは音として世界に出ることはなかった。
困惑しているぼくに手をにぎられている少女。髪の長い三和川ミナ。彼女は、ぼくよりも怯えた顔をしていた。そして何かを見ないように目を強くつぶった。
ぼくがその理由に気づくのには、わずかな時間が必要だった。
振り向き見た時には既に、黒く無骨なスタンガンはぼくのわき腹にしっかりと押さえつけられていた。
戦慄し、硬直し、驚愕した。
どういうことだ?
わけが分からない。
なんでこいつがいるんだ?
なぜ三和川ミナがもう一人いて、そいつがぼくの腹にスタンガンを押し付けているんだ!?
ぼくの後ろにいた方の三和川は(こっちは髪が短い!)、冷たい笑みを浮かべて、言った。
「ごめんね都ちゃん。やっぱり君、ついてないわ」
??????
そして三和川が、握ったスタンガンのスイッチを入れた。
バチッ、という音は、聞えなかった。
激しい衝撃が身体を駆け抜ける。意識が混濁し朦朧となって方向感覚がすべて失せてしまう。足がもつれ、ぼくは廊下の上に伏してしまった。
こうして、宿木都は本日二度目の気絶を体験した。
002
ぼく――宿木都(やどりぎ・みやこ)と三和川ミナはクラスメイトだ。
ぼくは図書委員になったので、入学早々、図書館の常連になっていた三和川の名前は、わりと早いうちから覚えていた。
ここ、坂上学園はエスカレーター制の学校であり、高等部のおよそ六割が小学部の時から変わらない継続組であり、残りの四割が進学の過程か、またはそれ以外の時期に転校してきた外来組である。ぼくはその前者であり、三和川は高等部から入ってきた外来組だった。
三和川ミナのクラスでの印象は、変わったヤツ、というものだった。
坂上学園という、おそらく日本で一番変わり者がそろっているんじゃないかと(本気で)思われている学校でおいて、少し違った感じの変わり者として見られていた。
三和川は、ぼくとはあれほど快活に話していたが、普段の教室では決してそんなことはない。常に誰とも喋らない。喋ろうとしない。それどころか、周りの全てを威嚇するような気配を、常に周囲に発し続けている。三和川に話しかけて、あの鋭い眼で睨まれた生徒は、もう一度彼女に話しかけようとはなかなか思わなくなるのだ。
三和川がそんな態度を取ることには理由があった。
教室でも廊下でも、三和川の後ろにはいつも一人の少女の姿があった。
その名前を向居カンナという。髪の長い、いつも伸ばした前髪でその表情を隠した、暗い印象の女の子。いつも教室の隅、三和川の後ろで小さくなっている。ぼくは彼女の声を聞いたことがない。
しかし、それも当然といえば当然の話だった。
向居カンナは喋ることができないのだ。昔の病気の後遺症で、喉をやられて、それ以来話すことができないらしい。そのために極端に他人との接触を嫌うようになって、三和川の後ろにいつも隠れている。これは全て三和川から聞いた話だった。なんでも三和川と向居は昔からの知り合いらしい。
けれど、だからといってクラスのみんなから排斥されていたわけではない。
坂上学園には、広く生徒を求める制度があって、その中には身体に障害を持った生徒が簡単に入学できる制度がある。だからどのクラスにも、たいてい一人か二人はそういう生徒がいる。それは目が見えなかったり、耳が聞えなかったり、または腕が一本なかったり、といろいろだが、みんなクラスにそういう人がいることに慣れているが故に、彼らを特別視しようとする傾向はあまりなかったのだ。
しかし、そんな中で三和川ミナと向居カンナはクラスで孤立していた。
排斥されていたのではなく、二人は自らクラスから離れていっていた。誰も寄せ付けず、誰にも近寄らず、むしろ遠ざけようとさえしているようにして、いつも二人だけでいた。
ぼくが三和川と話すようになったのだって、全くの偶然の産物であって、そのぼくにさえ、みんながいるところでは決して話をしない、と三和川は宣言していたし、その宣言を破ったことも今までになかった。
訳ありなのだろう、とは感じていたが、それを詮索しようとは考えなかった。誰にでも触れらたくないことはあるのだ。それはぼくにしても言えることである。
だから、時々二人になった時だけに話をする関係を、ぼくは好ましく思っていた。
そんな三和川との距離が、これほどまでに嫌な形で縮まってしまうなど、ぼくは考えたことがなかった。
*
ぼくは朝には強い方で、どんなに寒かろうが二度寝はしない。だから一日のうちに三度も目覚めを味わう、というのはなかなか稀な体験だった。
そして、それを体験したからこそ切実に思う。もうこりごりだ。遠慮する。一日に目覚めは一度でいい。
そんなことを考えながら、ぼくは暗闇の中で閉じていた目を開いた。
周囲は闇に満ちている。わずかな明かりがどこかから漏れているようだが、まだ目の慣れていないぼくには、辺りを把握することは出来ない。分かるのは、たぶん部屋自体があまり広くない、ということくらいだ。視覚はだめだったが、それでも嗅覚ははたらいた。土の匂いと、鼻につく科学薬品のような匂いがする。
「………………っ」
動こうとしてみたがダメだった。暗いので確かめることは出来ないのだが、どうやら後ろ手を手錠か何かで柱に縛りつけられているようだ。足の方は自由だが、何分手を拘束されているので、行動範囲も狭まっている。
なぜこんな状況に陥っているのかは、今度はすぐに思い出せた。
即座に頭に思い浮かんだのは、三和川ミナの顔と、彼女が手にしているスタンガンだ。
思い出すと、スタンガンを食らわされたわき腹が痛んだ。
じり、と土がすれる音が聞えた。この狭い部屋の中に、ぼく以外の何者かがいる。
どうやら向こうも、ぼくが目を覚ましたのに気づいたらしく、声をかけてきた。
「おはよう、都ちゃん」
そう言って、そいつは暗闇の中でくすくすと笑った。
「これを言うのは、本日二度目だね」
「三和川か? くっ、痛てて」
頭と同時に、わき腹にも痛感が走った。
そうだ。ぼくは腹にスタンガンを食らわされて、意識を失っていたのだ。そういえば今もまだ気分が悪い。打撲とはまた違った痛みがわき腹に残っている。
スイッチを入れる音がして、次の瞬間には強い光がぼくの目を照らした。
視界がくらむ。どうやら三和川がライトか何かを点けたらしい。
「眩しかった? すぐにどけるよ」
そう言って三和川は手にしていたライトを地面に置いた。
だんだんと目が慣れてきて、周りの景色もライトの光で見えてくる。
サッカーボールのつまった籠。ラインマーカー。大型メジャー。バッドにソフトボール。どれも体育の授業で使うものばかりだ。どうやらぼくは、体育倉庫に閉じ込められているらしい。薬品の匂いの正体は石灰の匂いだった。
しかし、ぼくを驚かせたのはそんなものではなかった。
「っ!?」
ぼくの目の前に、三和川ミナがいた。
ぼくの目の前に、三和川ミナがいた。
復唱したわけじゃない。
「な、どうして? ……二人」
薄暗い体育倉庫の中に、三和川ミナが二人立っていた。
暗闇の中で、ぼんやりとしてしか見えない並んだ二人の違いは、伸ばした髪の長さだけだった。一人は肩口までのくせっ気のある黒髪で、それはいつも見ている髪型だ。けれど、もう一人は腰の位置まで伸びたストレートの長髪をしている。その髪型には、なんとなく見覚えがある気がした。
髪の短い三和川が言う。
「気分はどうかな? 都ちゃん。電撃ってのはなかなか後を引くから、身体もだるいんじゃないの?」
その口調は、ぼくが都ちゃんと呼ばれるのを嫌いだと知っていて、あえて言っている調子だった。
どうやら髪の短い方は、ぼくのことを知っている、つまり今までぼくが接してきた三和川らしい。
「いったいなんなんだ三和川。ぼくにはわけがわからない。悪い夢でも見ているのか、これは」
「だとしたら、ほっぺたでもつねってみる?」
「遠慮しとく。悪いことはたいてい現実なんだ」
「いい世界観ね。私が人に聞いた名台詞ベスト5に入るくらいに」
「そいつはどーも」
皮肉を言う気にもなれない。
いったい自分がどういう状況にいるのか、さっぱり前後不覚だ。
いきなり背後からスタンガンで気絶させられ、
どういうわけか夜の体育倉庫に監禁され、
一人のクラスメイトが二人になっている。
その二人を前にして、拘束されたぼくにはできることが何もないというのだ。
これほどのピンチがぼくの人生に間に一度でもあっただろうか!
…………………あった。
それも一度や二度ではない上に、これくらいじゃすまないのもあった。
「…………ふむ」
そう思うと、高まり始めていた気分は収まり、落ち着いてきた。慣れとは恐ろしいものだ、と幸か不幸か今更ながら自覚できた。
そんなぼくの気分の変化を察してか、意外そうな顔をして、髪の短い三和川が言った。
「へえ、やけに落ち着いてるんだね。都ちゃん。今まで同じ状況に陥った子たちは、例外なくビビッてたのに。酷いのなんか、もらしちゃってさ。話をするのが大変だった」
冗談のようだが、それが冗談ではないことは三和川の雰囲気で分かる。なぜなら三和川は先ほどから一度も笑ってなどいないのだから。冷たい表情で、こちらを見下ろしている。
三和川は前に出てきて、ぼくの顔に手を触れた。
怖がらせようとでもしているのだろうか。けれど、もうぼくにはその手は通じない。何をしようと、もはや力の無駄遣いにしかならないのだ。
三和川はくすりと微笑んで、
「ではこれより、第四十三回ウブな少年掘削大会を開始します」
「ヒイィィィー! そ、それだけはやめてくれー!」
「ふふ、冗談よ」
三和川はおかしそうにそう言った。
おかしくないけど。
本気でビビった。怖かった。かなり先ほどの自分が情けない声を出していたことを、今更ながら悲しく思う。所詮は十五歳。くぐってきた修羅場など、たいした経験にはなっていなかった。それでも掘削される経験は、欲しいとは思わないけど。
また元の位置、もう一人の、髪の長い三和川の隣に戻り、笑顔をさっきまでの冷たい表情に戻して、話を再開した。
いや、宣言をした。
「都ちゃん。よく聞いて。これから私たちがするのは、お願いでも頼みでもない。脅迫よ」
その口調がいつもと同じそれのままで、それでいて冷やかな調子を持って言っていたので、ぼくはわずかに身を固くしてしまった。
それでも意地で三和川を睨み続けていると、やがて三和川の方から話を始めた。
「あなたは見てしまったわね。いえ、聞いてしまったの。正確に言えば、聞えないのを見てしまった」
やけに回りくどい上、分かりづらい言い方で三和川は言った。
しかしその言葉には、ぼくは心当たりがあった。
そう、それは事の始まりだった。
割れた時に音のしなかった花瓶。
声を出したはずなのに、音にならなかったこと。
あの二つは、どう考えてもおかしいことだった。
おかしな現象。
怪しい出来事。
普通とは絶対的に異なるそれ。
――怪異。
「音無しの呪い」
三和川がぽつりとその名前を出した。
「それが向居カンナさん。いえ……お姉ちゃんにかけられている呪いの名前よ」
そう言った三和川の隣にいる、もう一人の三和川ミナに、いや、前髪を上げて、長い後ろ髪を垂らせている少女に、ぼくは目は向けずにはいられなかった。
紹介され、向居カンナはまっすぐにぼくを見た。
初めて顔をまともに見た向居カンナの顔は、やはり三和川ミナにそっくりだった。
その時、わずかに自分の左手が痺れるのを、ぼくはひそかに感じていた。