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今回の事件でのぼくの幸運は、すべてが起こったのが週末の金曜日だったということで、土日の間に身体の方も元に戻り、登校にあたってさらしやその他の心配をしないで済んだのは、正直ありがたかった。
月曜日の昼休み、ぼくは図書倉庫でいつものように弁当を食べていた。本当はここでの飲食は禁止なのだが、委員会の仲間内ではその辺りは暗黙の了解だ。ちゃんと本とは間隔をおいているので、そうそうもしものことも起こらない。昼過ぎともなると、いつも密閉されているこの部屋は中の空気も暖められ、秋も半ばといったこの時期は幾分過ごしやすい場所だ。ぼくはここで静かに弁当を食べるのが好きなのだが、残念ながらその日はうるさい客がやってきていた。
開口一番「やっほー! みっちゃん元気―? 弁当食べようぜー」と大声を出しながらここに入ってきたのは、今のクラスは違うが小学部時代の友人である、日向葵(ひゅうが・あおい)だった。高校一年生にして葵の身長は百四十センチ。それ以前にどう見ても小学生にしか見えない童顔幼児体型の、黄色のリボンの似合う女の子だ。ニックネームはそのまま『ひまわりちゃん』。葵はぼくの是非を一切聞くことなく、あっという間にぼくの隣に弁当を広げてしまっていた。
「あ、そーそー。みっちゃん」
「ん? なんだよ」
葵が話しかけてきたので、ぼくは箸を動かしていた手を止め、一度葵の方を見た。
だが目の前の女は、ぼくが反応してからまた一つカラアゲを口に入れていた。おかげで話しかけておいて、話し出すのに十数秒を要した。それにしても葵の弁当は常識外れに量が多い。何しろ三段重ねの重箱だ。なんでも小学部卒業から高等部入学までの三年間、ずっと入院していて、本人曰くその間に食べられなかった分を食べているそうだ。これだけ食べていれば、すぐに身体も大きくなるように思われるのだが、再会して半年間経つが葵の身体が成長しているような傾向は見られない。
葵はやっと口の中の物を飲み込んだらしく、話を始めた。
「みっちゃん、この前また何かトラブルに巻き込まれたでしょー。てゆーか、いつものことで自分から渦中に飛び込んでいったんだろーけど」
「う、なんで知ってんだ?」
とは訊くまでもない。これは葵の特殊な嗅覚によるものだ。学校内でもよく知られている話だが、葵は稀に見るトラブルメーカーであり、自分で作り出すのではなく、勝手にトラブルが自分の回りに集まってくるタイプの人間だった。そんな過去があったために、葵は人のトラブルに敏感なのだ。ぼくなんかは昔の自分を知られているだけに、その辺りのことはすぐに分かってしまうらしい。
葵はぼくの目をまっすぐに見ながら続けた。
「ひまわりが思うに、三和川さん絡みでしょー」
と、ずばり言い当ててくる。
毎度のことながら、超能力かと思う程の的中率だった。
「毎回思うんだが、なんでそこまで分かるんだ?」
そんなの簡単だよ。と、葵は言うと、人差し指をぴんとたてて説明を始めた。
「だって変わったもん。三和川さん。それに向居さんも。向居さんはともかく、三和川さんと接触があったのはみっちゃんくらいだしねー。あとは経験と勘だよ」
「あいかわらず周りをよく見てるな、お前は」
「まーねー」
「背はちっちゃいのに」
「まーねー……って違う! ち、ちっちゃいって言うなー」
大げさな動作をもって葵は怒った。
葵の反応に、ぼくは笑ってしまう。やはりこいつは知識を語っている時なんかより、こうして子供っぽくしている時のほうがかわいい。こんな風にこいつと仲良くしているから、ぼくは時々ロリコン疑惑を受けることになったり、いつの間にか出来ていた葵のファン倶楽部だか親衛隊だかの連中に敵視されてしまうのだが、そんなことがどうでもよくなる程に、葵との会話は楽しいのだった。
もう怒りを静めたのか、新しいカラアゲを箸で取り上げなら、葵が訊いて来た。
「また、怪異絡みだったの?」
「あー……うん。まあな」
ぼくは葵の問いに煮え切らない返事を返した。
葵もまた、ぼくや三和川達と同じ、怪異と関わった過去を持つ人間なのだ。
ぼくが“狐”に遭い、三和川と向居が“猿”に遭ったように、葵は“蛇”に遭った。小学部の時から三年間、身長体重どころか髪の長さまでもまったく変わらなかったことは、それが原因だった。しかしそれも半年前までの話だ。葵も今の三和川たち同様、すべてを終わらせて人間の側に還っている。
ぼくの答えに葵は、そっか、とだけ言うとそれ以上訊いてくることはせず、その代わりに別の話題を出してきた。
「それにしても。変わったよね、あの二人」
葵の言っているのが、三和川と向居のことだとはすぐに分かったので、ぼくはそうだな、と答えてから頷いた。
葵の言うとおり、三和川ミナと向居カンナは変わった。一般的には、向居の病気が治り、声が出るようになった、ということが変化の原因とされている。変化と言っても、そんな劇的なものではなかったが、それはたった半日で周囲の者が気付くほどのものではあった。三和川の周囲への威嚇と、向居の周囲への怯え、その二つがなくなっただけで、二人の雰囲気は様変わりしていた。朝のうちには何度か他のクラスメイトと話しているのも見かけている。
二人にとって良かったことは、三和川の怪異に関する記憶が、すべてなくなっていたことだった。向居の呪いの消失とともに、猿の手によって消されていた記憶も三和川の中に蘇るかと心配していたが、幸運にもそれは呪物の消滅とともに消え去ってくれたらしい。向居もそれを気にしている風でもなく、二人は新しい学校生活を築き始めていた。
三和川と向居は還ることが出来たのだ。人間の側に。
それはとても幸せなことなのだと思える。
ぼくの場合はまだまだ先の話だが。
ぼくは自分の膝元を見た。そこにあるのは左手。しかし今その手にははっきりとした感覚がない。動きはするが、麻酔でもかけられているような状態になっている。先日の反転の後遺症で、まだ左手の感覚は完璧には戻っていないのだ。
不自由だとは思うが、ぼくの目的が果たされるまで、きっとこんなことは続く。
今回は無事に事を終えることは出来たが、次もこうやって上手くいくとは限らない。
勝って兜の緒を締めよ、だ。ぼくは絶対に失敗することは許されないのだから。
「お~い。難しい顔になってるよーみっちゃん」
いつの間にか、葵がぼくのすぐ隣まで移動してきていた。
また思いつめた顔でもしていたのかもしれない。葵が少し心配そうにこっちを見ている。
こいつを心配させるわけにはいかないのだ。ぼくはさっきまでの思考を切り替えて、笑顔を作った。葵の前で笑顔になるのは簡単だ。なぜなら葵はだれしもを和ませる不思議な才能を持っているのだから。
「悪い。ちょっと考え事してた」
「ふーん。まー、いっけどね~」
そう言って葵は弁当からケーキを取り出した。
正方形の一口サイズのものだから、箸でつまめている。重箱にデザートのケーキを入れているやつはたぶんあんまりいないだろう。それを食べるのかと思ったら、ぼくの方へとケーキを差し出してきた。
「ほい。悩んでいる時は糖分が一番だよー。あ~ん」
やっぱりそうきたか。しかしそれは誰もいないところとはいえ、恥ずかしい。
ぼくは頭を振って、
「いいって、自分で食べるよ」
けれど葵はケーキを引っ込める様子はない。
こいつは時々子供のように頑固になるのだ。いつもは子ども扱いされると怒るくせに。
この調子でどれだけ拒否しても、最後にはぼくが折れることになるのは分かっていた。ここは早めに、誰かが来る前に片付けておくのが吉だろう。
しかたなくぼくは口を開くことにした。
ぼくが了承したことが嬉しかったのか、葵も顔が笑顔になった。
幼い表情がぱっと明るくなる。大輪の咲いたような、笑顔。これこそまさに名が体を現している。
葵がケーキを進めてくる。ぼくたちは親鳥と雛鳥の図になっていた。
「あ~ん」
「あ、あーん」
なぜかこういう時の時間の流れは遅く感じる。
たった数センチの距離が縮まることに、何分もかけているようだ。
だからこんな絶妙のタイミングで図書倉庫の扉が開いて人が入ってきたのも、ある意味当然のことなのかもしれない。
「都ちゃんっ!」
そいつはぼくの名前を叫びながら部屋に入ってきた。
その声には聞き覚えがある、いや、例え聞き覚えがなくても、ぼくの名前を(気にしてるのに!)女の子のように“ちゃん”付けで呼ぶやつは、現在ぼくの周りには一人しかいない。
三和川ミナは図書倉庫の中でぼくの姿を見つけ、そして言葉を失ったのか数秒沈黙していた。
やがてぼくの顔を指差しながら、言った。
「な……何やってるの?」
三和川はそこで、図書倉庫の隅でおでこにケーキを乗せて口を大開きにしている同級生の姿を見ていた。
葵はいつのまにか隣にいなくなっている。本当に進出奇抜なやつなのだ。日向葵という女は。
ぼくはケーキを手で取って口に運び、顔についたクリームなども手持ちのティッシュでふき取りながら、やってきた三和川に訊いた。
「で、なんだよ、三和川」
「ケーキなんか乗せてる場合じゃないよ都ちゃん! あなた『祓い屋』なんでしょ! 仕事よ仕事」
まくし立てるようにそう言って、三和川はまだ弁当を食べているぼくの手を強引に引っ張って立たせた。
「なっ、いったい何があったんだよ」
ぼくが訊くと、三和川は掴んでいた手を放し、慌てた調子で言った。
「アフターケアよアフターケア! お姉ちゃん、自分の息する音がうるさくて眠れないの。そのせいでずっと寝不足なのっ! 都ちゃんなんとかしてよっ」
ぼくは入りかけていた肩の力が抜けて、自然に三和川に引っ張っていかれる形になってしまった。少しだけ緊張したのに、拍子抜けだ。
すぐさま図書倉庫からは連れ出されてしまう。
弁当はお預けのようだ。葵に食べられてなければいいんだけど。
そんなことを考えながら、ぼくは三和川と一緒に教室へと向かっていた。
三和川もこんなに人目のある中で、これだけ快活に振舞うのは久しぶりのはずだ。そのせいかテンションがかなり上がっている。なにより、悩みがなくなったことが大きいのだろう。三和川はいつもよりすっきりとした顔をしていた。
そんな三和川の笑顔が見られただけで、単純なぼくは週末のことなど全部忘れて、幸せな気分になることができる。自分はついている、と思うことが出来るのだ。
太陽の下、先を走る三和川の笑顔は眩しいくらいに明るい。
それはまさしく――――憑き物が落ちたような笑顔だった。
完